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2025年12月25日12:24

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「日本春歌考」大島渚〜政治的歌合戦〜

学生時代以来40年ぶりぐらいに見た。先日、映画館で観た荒井晴彦の『星と月は空の穴』では、大島渚の『新宿泥棒日記』(1969)のことが話題にされるが、これはその2年前の1967年製作の大島渚作品である。大島渚は社会性にこだわった映画監督で、政治的アジテーションのような刺激的な映画を撮る。「人間は政治的動物である」と言ったのはアリストテレスだったが、人間の性や欲望と社会・政治の関わりを描き続けたのが大島渚なんだろうと思う。

黒い日の丸と吉田日出子の「満鉄小唄」が印象に残っている。あらためて見ると、大島渚の政治的歌合戦のような映画だ。ひっきりなしに歌が歌われている。そしていろんな歌が同時に被さって、戦い、抵抗し、争うように歌われるのだ。

タイトルにあるように「春歌」が中心であり、先生役の伊丹一三(伊丹十三)が歌う「ヨサホイ節」(「一つ出たホイのヨサホイのホイ ひとり娘とやる時にゃホイ 親の許しを得にゃならぬ ホイホイ」から続く春歌の数え歌)が何度も繰り返されるのだが、伊丹一三が春歌を歌う居酒屋の他の客たちは、大勢で軍歌を歌っている。また、葬式の場面では革命歌が友人たちによって歌われ、そこに荒木一郎が「ヨサホイ節」を対抗するように重ねて歌う。さらに、藤原眉子(田島和子)の屋敷では、「ヴェトナム反戦フォークソング大会」が開かれており、若者たちによって反米フォークが歌われ、そこに在日朝鮮人の金田(吉田日出子)が、対抗するように春歌「満鉄小唄」を歌うのだ。「満鉄小唄」は軍歌「討匪行」の替え歌で、朝鮮人娼婦が南満州鉄道の職員への恨みを込めつつ客引きをする様子を歌った春歌であり、別名「雨ショポの唄」とも言われている。歌詞は朝鮮語訛りの日本語である。この歌が映画の中で印象的に使われている。

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雨のショポショポ降るぱん(晩)に  カラス(ガラス)のまと(窓)からのそ(覗)いてる  まてつ(満鉄)のきぽたん(金ボタン)のぱか(馬鹿)やろう

さわるはこちせん(五十銭)見るはたた(只)  三円こちせん(五十銭)くれたなら  かしわ(鶏)の鳴くまで 付き合うわ

あか(登楼)るの帰るの とうしゅる(どうする)の  早く精神ち(決)めなしゃい  ち(決)めたらけた(下駄)もて あか(登楼)んなしゃい

お客さんこのころ(頃)紙高い  ちょうぱ(帳場)の手前もあるてしょう(でしょう)  こちせんしゅうき(五十銭祝儀)をはちみ(弾み)なさい

そしたら私はた(抱)いて寝て  ふたち(二つ)もみっち(三つ)もおまけして  かしわ(鶏)の鳴くまで ぽぽしゅる(ぼぼする)わ

ああたま(騙)されたたま(騙)された  こちせん(五十銭)金貨と思うたに  ピールピン(ビール瓶)の栓かよ たま(騙)された
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(Landolt-C「大島渚『日本春歌考』について」より引用
(https://landolt-c.com/ja/archives/799)


地方から大学受験のために上京した4人の男子大学生。荒木一郎、岩淵孝次、串田和美、佐藤博。4人は雪の中、紀元節復活反対のデモ行進に遭遇し、一緒に歩く。黒い日の丸と黒旗を掲げている団体だ。たまたま雪が降った東京で撮影したのか、狙って撮ったのか分からないが、東京の雪の映像が効果的だ。白い雪と黒い日の丸、黒い学生服。紀元節とは、明治政府が1873年、2月11日を『日本書紀』が伝える神武天皇(初代天皇)が即位した日を祝日にしたもので、1948年に廃止された。しかし、紀元節の復活に向けた動きは1950年代初頭からあり、反対運動も起きた。1967年から「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として2月11日は「建国記念の日」とされた。

紀元節復活反対のデモから抜け出したかつての彼らの教師、大竹(伊丹一三)が恋人の谷川高子(小山明子)とともにどこかへ行くのを、4人の男子学生が後をつける。そして同じ高校から女子大に受験に来ていた女生徒たち、里美早苗(宮本信子)、池上智子(益田ひろ子)・金田幸子(吉田日出子)が大竹に会うのについてゆく。そして大竹は居酒屋で大勢の客たちが軍歌を歌っている中で、一人で春歌「ヨサホイ節」を歌うのだ。その夜、生徒たちは宿屋に泊まり、大竹は下宿に帰るのだが、酔って寝てしまい、ガスストーブが倒れて一酸化炭素中毒で死んでしまう。深夜に万年筆を忘れて取りに来た中村(荒木一郎)は、部屋中にガスが充満している状態で大竹が熟睡しているのを発見するが、そのまま立ち去ってしまう。先生を見殺しにしたのだ。

泣きながら帰郷する女生徒たちを見送り、4人の男子学生たちは「ヨサホイ節」を歌いながら4人の女性徒を犯す妄想をする。さらに憧れの受験番号469番の藤原眉子(田島和子)も妄想の中の試験場で犯すのだ。引き返してきた金田(吉田日出子)に、中村(荒木一郎)は先生を見殺しにした真相を語り、中村は通夜の席に顔を出して、革命歌が歌われる中で「ヨサホイ節」を歌い、喧嘩騒ぎが起きる。そしてみんなが帰った後に残った恋人・谷川高子(小山明子)に中村は前夜のことを語り、棺の前で性的関係を持つ。

そして、「ヴェトナム反戦フォークソング大会」が開かれている藤原眉子(田島和子)の屋敷にみんなが向かい、一人で春歌「満鉄小唄」を歌った金田(吉田日出子)はドレスに着替えさせられ、陵辱されたのか、涙を浮かべている。詩を朗読し、歌を歌う眉子に、中村が「俺たちは君を空想で犯した」と告白し、「その空想の教室に行きましょう」と眉子は言って、みんなで教室で空想を現実化しようとする。「ヨサホイ節」を歌いながら眉子の服を脱がす男たち。白いチョゴリ姿で無言で立っている金田。そして、「日本人のふるさとは朝鮮です」と、大竹が研究してきた騎馬民族説を突然喋り出す高子(小山明子)。中村(荒木一郎)は、教壇で下着姿で横たわった眉子(田島和子)の首を絞める場面で映画は終わる。最後は極めて図式的な構図で、赤い日の丸と黒い日の丸が教室の後ろに掲げられ、朝鮮と日本の関係、国家の暴力と性暴力、紀元節と騎馬民族説などが対置される。騎馬民族説とは、東北ユーラシア系の騎馬民族が南朝鮮の支配を経て日本列島に入り、4世紀後半から5世紀に、在来の王朝を支配し、ヤマト王権を創始したとする説だ。日本は万世一系の単一民族であるとする紀元節と対置する意味で、刺激的な形で「日本人のふるさとは朝鮮です」と小山明子に言わせている。現在、この騎馬民族説は支持されておらず、大陸から朝鮮半島を経て騎馬民族の一部は流入したと思われるが、征服したわけではないし、従来の縄文人と渡来人との混血や文化交流によって日本社会が発展したと考えられている。

最後にやや観念的な感じになってしまったのは当時の時代背景もあるだろうが、この映画はあくまでも歌合戦であり、妄想合戦なのだ。大島渚の映画では、『日本の夜と霧』(1960)ほか多くの歌が歌われているが、歌とは集団を情動的に結びつける機能を持つ。国歌をはじめ、軍歌、革命歌、労働歌、応援歌、春歌は共同幻想の重要な装置であり、道具なのだ。歌でまとまり、歌で情感が繋がり、絆を深める。それと同時に歌で幻想に絡め取られてしまったりもする。そんなことを考えさせてくれる映画でもあった。墓地や夜景が見える高台での長い横移動ショットや雪の景色の中での4人の学生たちのロングショット、荒木一郎と小山明子が棺の前で重なる真上からのショット、反米フォークソング大会での水や火の描写など、面白い映像があった。


1967年製作/103分/日本
英語タイトル:Sing a Song of Sex
配給:松竹
製作:創造社

監督:大島渚
製作:中島正幸
原題:添田知道
撮影:高田昭
音楽:林光
美術:戸田重昌
キャスト:荒木一郎、小山明子、田島和子、伊丹一三、岩淵孝次、串田和美、佐藤博、宮本信子、益田ひろ子、吉田日出子
☆☆☆☆4
写真引用コピーライト1967 松竹株式会社

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