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2025年12月16日19:48

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「こおろぎ」青山真治〜共依存の愛と土地の記憶としての信仰〜

2022年57歳の若さで亡くなった青山真治監督には、正式に劇場公開されなかった作品が何本かある。U-NEXTで何本か見られるものがあった。そのうちに1本がこの『こおろぎ』(2006)である。青山真治の傑作であり代表作の『EUREKA』(2000)の後に撮られ、『サッド ヴァケイション』(2007)との間の作品ということになる。一部の映画祭やイベントで上映されただけで長らく日の目を見ることがなく、幻の一作になっていたが、2020年1月8日にDVDで発売。現在はサブスクなどで見ることが出来る。

静岡県西伊豆を舞台に、鈴木京香と山崎努のミステリアスで奇妙な物語だ。山��努は目が不自由で口もきけない老人であり、いつもサングラスと杖が手放せない。だから山��努の台詞は一切ない。そして一緒に暮らす女は妖艶で女盛りの鈴木京香。映画でも台詞は少ないが、妙に色っぽい。カオルという名の女を演じる鈴木京香は、老人の山��努を「自分無しでは生きていけない男と初めて巡り合ったと思っていた」と語られる。老人に付き添い、面倒を看ることに自分の存在意義があり、老人もまた女がそばから離れると不安でしょうがない。一種の共依存関係だ。二人のこれまでの人生の背景は何も語られない。

森の中の別荘のような立派な家で静かに暮らす二人。台詞はほとんどないので、風の音や海辺の波、川や滝の水音、カモメや鳥の鳴き声やこおろぎなどの虫の声が聞こえるだけだ。山��努は食べるとき、食べ物に顔を近づけてニオイを嗅ぎ、すするように汚く食べる。鈴木京香に対しても顔を近づけていつもニオイを嗅いでいる。獣のような存在でもある。「かおるは男の空洞のような目に魅了された」と語られる。二人で鶏肉を汚く貪るように手で食べるシーンはエロティックに撮っている。肉を舐め回し、鈴木京香の脂まみれの指を性の戯れのように舐める山��努。そして自らの指を舐めて恍惚とした表情を浮かべる鈴木京香。

そんなある日、鈴木京香は町の共済組合が作ったという無国籍なバーといった体裁のコミュニティ・センターに足を踏み入れる。ミラーボールがまわり、店内は薄暗く、カウンターで男二人がカクテルを同じ動作で奇妙に振り続け、音楽が鳴り響き、若者たちやサラリーマンもいて賑わっている。神輿や大漁旗があったりする玉石混淆な雑多な異空間だ。そこで鈴木京香は若い男タイチ(安藤政信)と目が合う。隣には若い女性の伊藤歩もいる。二人が暮らす静かな自然の世界とは対照的な人工的で猥雑な世界。あるとき、そのバーへ鈴木京香は山��努を連れて行く。山��努が目が見えない老人であることを察した安藤政信は、鈴木京香の手を取って誘惑する。彼女がそばにいなくなって狼狽える山��努。この奇妙なバーと男の出現から、二人の世界は壊れていく。

鈴木京香が運転する車の前をノロノロと自転車を漕ぎながら道を塞いで邪魔をする安藤政信。家の庭の剪られる木の枝。ベランダで倒れる老人。若い男に性を感じる女。老人の靴は片方だけ、なぜか変な場所にある。外に出ることを禁じているのか。老人は嫉妬からなのか、食事を食べようとせず、無理矢理、萎びたペニスのような竹輪を口に入れられる。「私のこと嫌な女だと思っているんでしょう」と鈴木京香が言うと、不気味に笑いながら竹輪を食べて吐く。老人は徘徊なのか、女物のサンダルを履いて町中を一人で歩き回るようになり、夜の海に老人は一人入り、座り込む。安藤政信がそんな老人をじっと観察している。山��努の半開きの目に月の光が白く宿り、なんだか宇宙と交信しているようで不気味だ。老人の行方を探す鈴木京香は、安藤政信に老人がどこにいるか教えてやると言われ、伊藤歩と共に、この地にキリスト教をもたらした宣教師を祀る洞窟に連れて行かれる。車が通る山道が行き止まりになった場所から歩いて森の中へ。男はなぜか手に猟銃を持っている。しかし、その洞窟は老人とよく来ていた場所だった。何かが祀られているような洞窟の壁。女が隠れキリシタンの何かを触ると、「見ザル言わザル聞かザル」のアクションをする伊藤歩。言葉にできない何かを信じること。この伊藤歩という女の存在は、どうやら鈴木京香の幻覚らしいのだ。「タイチくん(安藤政信)と寝たい?」と彼女が囁く。存在しない女の声は自分の秘かな願望でもあるだろう。伊藤歩は、後でトラックに人形のようにぶつかる場面があるが、それも鈴木京香の幻覚ということだ。安藤政信は鈴木京香にまだ温かい殺したキジを渡し、老人は家にいると告げる。キジは瀕死の老人なのか。そしてベッドで寝ていた老人の隣で自慰行為に耽る鈴木京香。翌日、老人は死んでいた。性と死のシンクロ。洞窟の中の神話的物語。

ここから映画はどんどん奇妙な方向へと向かう。老人から解放されたということで、安藤政信たちによって家でパーティーが開かれ、着飾った奇妙な人々が集っている。ピエロのような者がいたり、三線での沖縄民謡の演奏まである。そして翌朝、安藤政信に連れて行かれた港で、パーティーの参加者たちは海からクレーンで吊り上げられるモノに拍手する。それは「隠れキリシタンの旅の守り神」である「翼のついた女神像」が数百年の時を経て、海の底から吊り上げられたのだ。神話と宗教の顕現。もう幻想の世界だ。なんだか、フェデリコ・フェリーニの『甘い生活』のラストの海辺に打ち上げられた巨大な魚を夜通しパーティーをしていたみんなで早朝に見る場面を思い出す。そういえば、この映画の音楽はフェリーニの『アマルコルド』の軽やかで哀愁に満ちたニーノ・ロータの音楽と少し似ている。そして、海に漂っている山��努の杖を見て、鈴木京香は気を失うのだ。病院で伊藤歩が幻覚であり、存在しなかった女性であることを、手元に残された写真から鈴木京香は知る。

さらに一年後、再び港町にやって来た鈴木京香。生き返って元気になった老人の山��努と再会する。死んだはずの男に鈴木京香は「ごめんなさい」と言う。「自分にはこの男しかいない。この男がいないと自分もいないとカオルはようやく気づいた」と語りが入り、鈴木京香は再び洞窟の中へ。マッチを擦って「隠れキリシタンの翼のついた女神像」をおそらく見ているのだろう。老人は家で前のように暮らし、隣の別荘には新たな借り手夫婦がやって来る。

かつてこの地で夕陽を見ながら殺されたニセ宣教師の商人たち。隠れキリシタンの歴史と老人と女の存在がどう結びつくのかよく分からない。老人は隠れキリシタンのニセ宣教師の亡霊なのか?なんだか無理くりな結びつけという感じもある。ポルトガルから世界の果てに辿り着いて殺された隠れキリシタンたちの呪い?時空がねじ曲げられ、老人は死から復活する。男と女の共依存関係は、宗教とも似ている。神に祈ることは、その存在を信じること。神がいるからこそ、自分がある。相手がいるからこそ自分がいるという男女の共依存もまた信仰のようだ。空洞のような目に魅せられ、取り込まれていく女。最後は、洞窟の中で信仰に取り込まれていったのか。愛と幻と宗教的神話が人間を虜にする。

青山真治は北九州サーガ3部作と呼ばれる『Helpless』、『EUREKA』、『サッドヴァケイション』を作っており、土地ヘのこだわりを持つ映画監督である。西伊豆の安良里(あらり)に残る隠れキリシタンの歴史の物語を土地の記憶として描き、それを老人と伊藤歩に体現させた。この土地にやって来た女は、「男の空洞のような目」に魅せられ、見守る共依存関係へとはまり込んでいった。山��努と鈴木京香の二人の俳優の存在感が圧倒的な印象だ。ニオイを嗅ぐ動物的な存在である山��努と残酷なまでに性的な存在であり、母性的な存在でもある鈴木京香の前では、隠れキリシタンの神話は抽象的なものでしかない。ただ何度も出てくる土地の風景、港や滝や森と洞窟は、言葉にならない何かを感じさせる。言葉では言い表せぬ二人の感情がぶつかり合う身振りと土地の記憶が印象に残る映画である。


2006年製作/101分/日本
配給:ディメンション
劇場公開日:2019年12月7日

監督:青山真治
原案:畠中基博
脚本:青山真治、岩松了
企画:畠中基博
エグゼクティブプロデューサー:畠中基博
プロデューサー:代情明彦
制作統括:畠中節代
撮影:たむらまさき
音楽:長嶌寛幸
キャスト:鈴木京香、山崎努、安藤政信、伊藤歩、光石研、斉藤陽一郎、尾野真千子、小澤征悦
写真引用(C)komssift/配給ディメンション
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