札幌北高出身で、初期の頃から応援していた三宅唱監督がやっとこの『旅と日々』で海外の映画祭で賞を獲得した。第78回ロカルノ国際映画祭で日本映画としては18年ぶりとなる最高賞の金豹賞を受賞した。
ハングル語でシム・ウンギョンが考えながら映画の脚本を書き始める手元が映し出され、書かれる鉛筆の文字と音が聞こえてくる。それはままさしく『ケイコ 目を澄ませて』(2022)のファーストシーンを思い出させる。聴覚障害のあるボクサーのケイコ(岸井ゆきの)が日記をノートに書き連ねる仕草と音。脚本家シム・ウギョンによって書かれたハングル語の見慣れない文字に、観客はいきなり遠い場所、旅に連れて行かれたような気分になる。そしてファーストシーンの「夏、海辺」、「後部座席で女が目を覚ます」と文字が書かれ、その通りの映像が始まる。後部座席で目を覚ます女の河合優美。彼女を映すカットで車のフロントグラスに反射する空の雲が動いていく。不思議な映像だ。そう、この映画は言葉にならない風景を写し取るような映画だ。「私は言葉の檻の中にいる」とシム・ウギョンは自らの葛藤を語り、「言葉から遠いところで、そのままずっと佇んでいたい」のに、「いつも必ず言葉に掴まってしまう」という彼女の苦悩とジレンマが、彼女を旅へと誘う。それは死者となった魚沼教授の佐野史郎の言葉でもあった。脚本を書くこと、その文字から映画が始まり、映像を想像してまた文字にする。そうして映画となった映像を見てまた言葉で思いをめぐらせる。映画とは、「言葉の檻」から抜け出して、どれだけ「言葉から遠いところ」へと観客を誘わせることができるか、そんな「旅」でもあると思う。
夏の海辺で佇む青年とそれをカメラで撮る外国の女性、ロープを踏み越えて山の中に入っていく河合優美と木々を揺らす風、夜の海の闇と女がつけようとするライターの火の光。雨の中の海辺のトンネルで手を振る女のシルエット、雨の海辺の小屋に座る男、浜辺の二人と泳ぐ海の波間、泳ぐ男とそれを眺める女のロングショット。「いい感じよ」と呟く女は、つげ義春の有名な漫画と同じロングショットだ。鉛筆からカメラ、そして電車を撮ってトンネルの向こうの雪の世界へ。静かに降り積もる雪。夜のまっさらな雪を歩き、川を渡る二人。「大丈夫か?」「大丈夫ですよ」の声。錦鯉を盗む男と「止めましょうよ」と言いながらそばで見守る女。その雪深い池の俯瞰ショット。言葉では言い尽くせない風景と情感の数々が映像で切り取られていく。「人間の悲しみが描かれていないとな」と宿屋の主人べん造(堤真一)は言う。「なかなか面白かったです」と錦鯉盗難の夜の自分たちの顛末を客観的に見て思い出し、その面白さを興奮して語るシム・ウギョン。「お前さまは、べらべらとよく喋るな」と言って背中を向けて寝ようとする宿屋のべん造。そのべん造の背中の姿にこそ「人間の悲しみ」が宿る。語りたくなる言葉と語っても語り尽くせぬ思い。言葉では辿り着けない地点へと映像が観客を旅に誘う。様々な情感が風景に滲み出てくる。そんな静謐で豊かな映画だった。
私はつげ義春の『海辺の叙景』が大好きである。それは雨の中での男女を描いた漫画なのだが、それだけで終わっているからだ。この男女が恋愛関係に発展するわけでもなく、ただその雨の中の情景の中に留まっているのだ。それ以上でもそれ以下でもない。風景とともに人間がいるのだ。あとは想像するだけ。思いをめぐらすだけ。『ほんやら洞のべんさん』も同じだ。静かな田舎の村で暮らす宿屋の主人、そして別れた妻や家族との関係が雪深い情景の中で描かれるのだが、必要以上に踏み込んでいかない。その距離感がいいのだ。そんなつげ義春の世界が、この映画でもまた描かれている。それぞれの距離感をしっかりと守り、踏み込んでいかない。海辺の男も女も、雪深い宿屋の主人も脚本家も、それそれがそれぞれの思いの中で何かを思いめぐらし、風景の中で佇んでいる。それを情景として描いている。熱が出たと警官に伴われて病院に行く宿屋の主人。それを雪の中で一人見送る脚本家の女。それだけなのだ。そこから何を感じ取るかは観客に委ねられている。堤真一が素晴らしかった。エンドクレジットを見るまで、べん造が堤真一だと分からなかった。
2025年製作/89分/G/日本
配給:ビターズ・エンド
監督・脚本:三宅唱
原作:つげ義春
企画:中沢敏明
製作:崔相基、厨子健介、古賀俊輔、小林敏之
エグゼクティブプロデューサー:定井勇二、後藤哲
プロデューサー:城内政芳
撮影:月永雄太
照明:秋山恵二郎
録音:川井崇満
美術:布部雅人
編集:大川景子
音楽:Hi'Spec
キャスト:シム・ウンギョン、河合優実、�眦痛�作、斉藤陽一郎、松浦慎一郎、足立智充、梅舟惟永、佐野史郎、堤真一
☆☆☆☆☆5
写真引用(C)2025「旅と日々」製作委員会
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