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2025年09月01日20:11

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「去年マリエンバートで」アラン・レネ〜どこでもない場所で、誰でもない男2人と1人の女〜

「去年マリエンバートで」とタイトルにあるように、男と女が一年前に出会ったのは「マリエンバート」だとばかり思っていたら、あらためて映画を見てみると、男は女に去年会ったのは「フレデリクスバート」だと言っているのだ。あの幾何学的なシンメトリーの庭は「フレデリクスバートの庭」なのだ。男と女の石像があるバルコニーも「フレデリックバート」なのだ。女が「そんなところっ行ったことがないわ」と言うと、「他の場所だったかもしれない。カルルスタットか、マリエンバートか、バーデン・サルサか、この広間か・・・・」と言っている。「マリエンバート」はいくつかの場所の候補でしかないのだ。場所は男の曖昧な記憶なのだ。このミスリードはなんなのか?きっと場所はどうでもいいのだろう。そう、これはどこでもない場所、どこだか分からない国籍不明のバロック調の宮殿のようなホテルを舞台にした、名前のない男2人と女1人の物語だ。女は「あなたは誰?あなたの名前は?」と聞くと、「重要ではありません」と男は答える。「レッセ・モワ、レッセ・モワ!(放して)」と女は何度も言って男から逃れようとする。男が女に去年会って2人で愛を交わし、一年後に一緒にどこかに逃げる約束をしたと男は言い、女は「知らない」と言う。女には夫のような存在の男がそばにいる。女は一年前に会ったという男と一緒にホテルを出て行ったのか?いわゆる三角関係の男女の話で、物語はいたってシンプルなのだ。

階段の途中で立ち止まって振り返る女に男が「お待ちで?」と言うと、「いいえ、なぜ私が?」「私も待ってました」「夢の中で?」と女は男に返す。女は一年前に会ったという男の主張に対して「まったく知らない」と答えている。男は場所はどこでも「重要でない」と言う。「小道に曲がり角で出くわした」何度も会った女との去年の時間。「私たちはなんでも話した。石像の名前。茂みの形。泉の水のこと。それか、何も話さない時も」。そして「あなたの部屋に行った・・・」と男は女に言うのだ。「あなたは去年のまま。同じ虚ろな目、同じ微笑み、突然の笑い」。これが男の勝手な妄想だとしたら、女にはなんとも恐い話だ。知らない男からのまとわり。男の曖昧な記憶が主観的に映像で再現されるので、観客は実際にあったことのように思ってしまう。女の記憶の方が曖昧なのだろう、と。あるいは女が知らないフリをしているのか?そうとも思える作りなので、アラン・ロブ=グリエの初監督作『不滅の女』(1963)と同じように、なにが真実なのか分からない。どうとでもとれるように映画は作られている。

空虚な瞳、空虚な廊下、空虚な空間。階段と廊下が何度も描かれる。そして石像のあるバルコニーや庭。前半は特に会話の断片ばかりが散りばめられ、意味のない言葉が繰り返される。そして人物たちは度々静止する。人形のように。静止画ではなく、自らアクションを止めているのだ。そして滑るような移動撮影。横へ、縦へ。何度か繰り返されるトランプやマッチ棒のゲーム(7枚・5枚・3枚・1枚と並べて、同じ列は何枚取ってもよくて、最後の1枚を引いた方が負け)。女の夫が勝ち続けるゲームだ。そして、鏡を多用した演出。迷宮と幻想。去年の夏は泉の氷が凍ったという異常に寒い夏だった?という話が出てくるが、いつの夏のことなのか?そして男が撮ったという庭での女の写真。やはり女が忘れているだけなのか?記憶は混乱する。現在の時間と過去の記憶の映像が混在する。現実なのか幻想なのか。女は夫が近づいてくるのを見て、「愛しているのなら、消えて」と言って、男がバルコニーから落下する場面がある。女の叫び声。男は一年前に死んだのか?そして一年後に現れた男は亡霊なのか?女はその忌まわしい記憶を封印していたのか?「この場所で、あなたは自分を失っている。永久に。静かな夜の中で。私と2人きりで。」という男の声で映画は終わる。

こうなってくると、この場所そのものの映画だという気がしてくる。空虚な古いバロック様式の建物。これまでに多くの男たちが女を待ち、多くの女たちが男と連れだって建物を出て行こうとした。そんな時代を超えた死者たち、亡霊たちの映画なのかもしれない。ラストの女が待つ広間に階段を降りてきた男は、亡霊のように突っ立ているばかりだった。女が立ち上がり歩き出すとともに、一緒に歩いていくのだが、どこか生きた感じがしない。明らかに男は亡霊なのだ。単純にいえば、やはり一年前に女と約束をした男が、亡霊となって女の元に現れたように思える。一年前に男はバルコニーから転落して死んでいたのだ。そして女は男の亡霊につきまとわれ、夫の元から離れ亡霊と一緒にホテルから出て行く。自分を見失いつつ・・・。そう解釈できるのかもしれない。夫である男が女を銃で撃つ場面は、夫の妄想だろう。夫は女が一年前に男と関係を持っていたことを知っていて、今年も女の行動を注意深く観察していた。しかし、女の心をつなぎ止める方法がもうなかったということか。いろんな解釈が出来る映画なので、それは観客の自由だ。あくまでもあの場所にこそ、さまざまな虚ろな人々の虚ろな思いが漂っているということだろう。

デルフィーヌ・セイリグの衣装はココ・シャネルがデザインしたものだそうだ。美しい衣装と美しい佇まい。幻想と現実が交錯する映画史に残る夢のような映画だ。アルフレッド・ヒッチコックもどこかに出ていたらしいのだが、よく分からなかった。


1961年製作/94分/G/フランス・イタリア合作
原題または英題:L'annee derniere a Marienbad
配給:セテラ・インターナショナル

監督:アラン・レネ
製作:ピエール・クーロー、レイモン・フロマン
脚本:アラン・ロブ=グリエ
撮影:サッシャ・ビエルニ
美術:ジャック・ソルニエ
衣装:ココ・シャネル、ベルナール・エバン
編集:アンリ・コルピ、ジャスミン・チャズニー
音楽:フランシス・セイリグ
キャスト:デルフィーヌ・セイリグ、ジョルジョ・アルベルタッツィ、サッシャ・ピトエフ、フランソワーズ・ベルタン、ルーチェ・ガルシア=ビレ、エレナ・コルネル、フランソワーズ・スピラ、カリン・トゥーシュ=ミトラー、ピエール・バルボー、ビルヘルム・フォン・デーク、ジャン・ラニエ、ジェラール・ロラン、ダビデ・モンテムーリ、ジル・ケアン、ガブリエル・ベルナー、アルフレッド・ヒッチコック
☆☆☆☆☆5
写真引用(C)1960 STUDIOCANAL - Argos Films - Cineriz
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