mixiユーザー(id:3912568)

2025年06月11日19:17

100 view

「隆明(りゅうめい)だもの」ハルノ宵子(晶文社)

日本の思想家・詩人の吉本隆明氏の長女ハルノ宵子による父のこと、吉本家のことを綴ったエッセイ。次女は小説家の吉本ばなな。「故人を讃えない、型破りな追悼録」と帯にあるだけに、ユニークだ。文章のテンポもよく、面白い。戦後思想界の巨人と呼ばれた吉本隆明だが、老いてくるとただのぼけ老人であり、娘にとってはいつも家にいる偏屈な「お父ちゃん」でしかない。

ハルノ宵子は1957年生まれ。漫画家・エッセイスト。著書に『猫だましい』(幻冬舎文庫)、『それでも猫は出かけていく』(幻冬舎文庫)、『開店休業』(幻冬舎文庫、吉本隆明との共著)などがある。この本によれば、ハルノ宵子は学生時代に漫画で賞をもらって漫画家デビューしたが、結局は両親の介護にかかりっきりで漫画を断念せざるをえず、猫に関するエッセイだけは書き続けたようだ。

ユニークなのは、父の吉本隆明が「今夜がヤマだ」と医師に告げられた夜でも、ハルノ宵子は原稿の締め切りを抱え、病院の近くで通信社の人たちと軽く一杯やり、「仮眠したあとに仕事するから」と言って8時頃家に帰り、深夜1時過ぎに、彼女の習慣である「猫巡回」を自転車で1時間20分した。いつも通りの日常を過ごしたのだ。そのあと、家に帰ると病院から「父の死」の知らせの電話があったそうだ。この「猫巡回」とは、彼女が10年以上ほぼ365日続けている“都市猫”の観察であり、どこかのNPOの猫ボランティア活動のノルマなどではなく、あくまでも彼女が個人的にやっている猫の見守り活動なのである。そしてこの娘の行動には、吉本隆明から教え込まれた考え方が反映している。「死の瞬間は誰だって一人なんだ」ということであり、「死ぬときは、どこだって同じだ」ということだ。「どこでも、自分の思った通りじゃない、野垂れ死になんだよって」という感覚。それは父の思いであり、娘のハルノ宵子は父のその思いを共有していた。それは死に場所を求めて家を出て行く猫と同じ感覚なのだろう。「亡くなるときはみんな集って」ではなく、「立ち会ってほしかないぜ」という思い。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「3月のまだ冷たい風を切り、自転車でいつものコースを走り抜ける。後半下り坂、かつての湧水路が今はもう暗渠になった小川に流れ込む地点、車輪の転がるままにその交叉点を横切った時、空気がキラキラと光り外灯が眩しく映った。“予感”があったのは確かだった。果たして家に戻ると、病院からの着信があった。(P11)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「じぁあな!」と、いつも通り軽く手を振り去って行く父の声が聞こえた・・・と娘は父の死を感じたそうだ。

そして彼女は、病院に父の遺体を残していると新聞記者たちメディア取材が押しかけて迷惑かけると思い、深夜に父の遺体を自宅に運び、玄関のインターホンの電源を抜き、電話線を外し、締め切りの迫っている原稿を仕上げたというのだ。朝、家の前にはすでにメディアの人たちが集っていたらしい。「魂が抜けた死体はブツだという考え」のもとに行動したドライな日常的な振る舞い。

さらに墓に入れる前に骨壺からガッサリと一握りのお骨を取り分け、妹一家と天草の祖父の造船所跡とされる漁港に撒き、甥っ子はじじいの骨を喜んで撒いたあと、かじってみたそうだ。そして夏にいつも行った西伊豆の海水浴場にも、泳ぎながら撒き、96年に吉本隆明が溺れ死にかけた堤防の突端から「よし!リベンジだ」(もはや意味不明だが・・・)と、皆で骨を投げ込んだ。そして東京でも、彼女は一人ポケットに骨を入れると、浅草から船に乗り、「佃渡しで」のルートで佃の掘割をめぐり、ポチャンポチャンと投げ込んだ。また父が好んで散歩した、上野不忍池にも、毎年お花見をした谷中墓地の桜並木にも、谷中銀座を臨む「夕やけだんだん」の上で、ポケットを裏返し、パタパタと残りの骨の粉をはたいた・・・そうだ。

このハルノ宵子のエッセイを読んで、吉本隆明の考え方が徹底して刷り込まれていて感心するのが、「群れるな。ひとりが一番強い」なのだ。集団や組織になることによって、個人は共同の幻想に絡め取られ、そこには権力や暴力が生まれる。吉本隆明の「共同幻想論」は、多くの60年代の若者たちの心に刺さった。そして娘たちは群れることなく、ひとりで生き続けた。

母の和子さんは、句集『寒冷前線』等を出版している俳人でもあるのだが、最初、父はその才能を認めなかったらしい。しかし、あるとき、「フフン、お母ちゃんもいっぱしの俳人になったじゃないか」と父は母に言い、「そのとき母の顔が一瞬輝いた」。「しかしその時を境に母は壊れた――と私は思っている」(P53)と娘が書いているように、母の和子さんは父・吉本隆明に認めて欲しかったのだ。ただ俳人と認めてもらったことで、表現者として何かを失ってしまった。和子さんは結核なども患い、病弱でもあり、精神的にもかなりストレスを抱え込むタイプだったのだろう。両親の口喧嘩はいつものことであり、和子さんは家事嫌いでほとんど寝てばかり。吉本隆明氏が食事を作り、娘たちの弁当も作っていたという。妹の吉本ばななは、ほとんど家から逃げ出すように友達の家に入り浸っていたという。それでもハルノ宵子は「母はほんとうに、父と釣り合ってたとんでもないエネルギー値を持った恐ろしい女ですよ(笑)」と妹との対談で語っており、別の年上の男性と結婚していたのに、吉本隆明と出会って再婚した和子さんは、ちょっと特別な何かを持っていた感じがする。

吉本ばななが「私が父を尊敬している点は、書いているものと(行動に)食い違いがまったくないところ」だと言い、ハルノ宵子は「すごいエネルギーでした。父はとにかく。とてもじゃないけど、並みの人には家事もやって子供の弁当まで作って、それであれだけの仕事をこなすことはできないと思います。私たちが周りでうるさくしてても、ちょっと黙っててくれなんてひと言も言わず。」と父のことを対談で語っている。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
モノ言えぬ父を足蹴にして、千枚通しでブスブス刺して、尻まくって蝋燭タラ〜りしているような、罪悪感に耐えられなくなり、まだ笑える内に、切り上げることにした(え?笑えないって?)。
しかし何を言おうと、父の圧倒的仕事の質と量、そしてなんの組織にも属さず、大学教授などの定期収入も、社会的保証もステータスもない中で、家族と猫を養い続けてくれた並はずれたパワー ――それは感謝と尊敬以外の何ものでもないし、誇りに思っている。(あとがきより)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

いろんな家族のあり方があり、いろんな死に方がある。何が正しいと言うことではなく、それぞれの家族のそれぞれのあり方があるだけなのだと思う。そして何かの思いが両親から子どもたちへと受け継がれていく。
8 15

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2025年06月>
日 月 火 水 木 金 土
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930