NHKが村上春樹原作の短編集『神の子どもたちはみな踊る』より4つの短編を4回に分けてドラマ化した。村上春樹の不条理で不思議な世界をしっかりと映像化したのは、果敢な挑戦だったと言えるだろう。この奇妙な世界のメタファーとはどんな意味なの?と問われても答えはない。それぞれが自由に考えればいいことである。昨今の分かりやすいドラマばかり見ていたり、伏線は必ず回収しないと気が済まないドラマの視聴者たちは戸惑ったことだろう。
村上春樹の小説世界とは、必ず異界、パラレルワールドのような世界が出てくる。現実とは違うもう一つの世界だ。その異界からしばしば不思議なキャラクターたちが主人公を訪ねてくる。『羊をめぐる冒険』の「鼠」、『ダンス・ダンス・ダンス』の「羊男」、『ねじまき鳥クロニクル』の「加納マルタ」、『スプートニクの恋人』の「すみれ」などなど。そして『かえるくん、東京を救う』では「かえるくん」が部屋に突然やってっくる。「かえるさん」ではなく、「かえるくん」と何度も訂正を強いられる片桐さん。阪神・淡路大震災があって書かれた短編集が『神の子どもたちはみな踊る』だ。あれから30年。ドラマは小説と違って時代設定を変えている。第1話『UFOが釧路に降りる』を1995年の阪神・淡路大震災が起きた年に設定し、第2話『アイロンのある風景』を2011年の東日本大震災の年に設定、第3話『神の子どもたちはみな踊る』を2020年の新型コロナウイルス感染症の流行の年に設定、そしてオリジナルとなる第4話『続・かえるくん、東京を救う』を現在2025年の新宿に設定した。
第1話は箱を運ぶ男・小村(岡田将生)の話、妻(橋本愛)は神戸の地震のニュースばかり見続けた後に、「あなたといると空気のかたまりと暮らしているようなものだった」と書き置きを残していなくなる。そして友人から託された小さな箱を釧路の妹のところへと運ぶのだ。ドラマでは、釧路空港で白い帽子と白い服を着た奇妙な女の子が二人登場する。妹役の北香那と友達シマオさんの唐田えりかだ。まるで妖精のような不思議な出で立ち。現実世界で実在していないような奇妙な感じで演出している。そして女の子から「どこまで行っても自分から逃げられないんじゃないかな。影とおんなじ」と言われる。広大で寒々しい釧路湿原にポツンと佇む男。UFOを見て妻がいなくなった男の話。消失と不在は村上春樹の重要なテーマだ。そして第1話では、空っぽの箱、空っぽの男、空っぽの部屋、東京で彼が仕事で扱うスピーカーも空洞の箱だ。そして運んだ箱の中身は、「小村さん自身で、それを知らずに運んで渡してしまった。だから小村さんの中身は戻ってこない」とシマオさんに言われるのだ。異界(UFO)に連れ去れらた妻、そして中身を奪われてしまった空っぽの男。
第2話は、焚き火男(堤真一)の話だ。海辺に流れ着いた流木を拾っては焚き火をする。その火に魅せられる女(鳴海唯)は、死に取り憑かれている。線路に座りこんでいたりする。絵描きの焚き火男も、冷蔵庫に引きづり込まれる悪夢をいつも見る。文明・経済の箱?何万年と続く焚き火の火の力が死への恐怖を包み込む。コンビニで働く少女は、焚き火男に小さなカエルのおまけを送る。そして2011年3月11日、東日本大震災が起きる日に二人が起こした焚き火は静かに消えようとしている。女の子は眠ってしまう。
第3話は、新興宗教の神の子とされる男・善也(渡辺大知)の話だ。手足が長く「カエルみたい」と呼ばれた渡辺大知が踊る場面がいい。母がしっかり避妊をしたはずなのに産まれてしまった男。新興宗教に入った母(井川遥)から、父親と思われる右耳の耳たぶが欠けている男の話をされる。ドラマでは誰も乗っていない地下鉄で、善也はその耳たぶが欠けた男を目撃して、駅を降りてタクシーに乗って後をつけるのだが、男を見失ってしまう。そして誰もいない野球グラウンドのマウンドで踊るのだ。このドラマでは、地下鉄が印象的に描かれる。模型の地下鉄が作り物のように出てくる。作り物のような私たちの世界は間違ってしまったのか?私たちは祈り続けるしかないのか?世界が悪い方向に向かっても。神様は冷たい石のように何もしてくれないのか。自然の木々、太陽、石・・・そして大いなる世界。会社の同僚の女の子(木竜麻生)から「君がカエルの子でも、神様の子どもでも、そんなの関係ないから」と笑って言われる。「神の視線」に見られているような気がする中で、カエルくんは力いっぱい踊る。大地の地中深くの鼓動を感じながら。神を信じていると言った渋川清彦は母の井川遥に抱いた欲望を死の間際で懺悔する。世界、そして神と対峙するカエルくん。
第4話は、現代の新宿。警備員をしながら漫画喫茶の狭い個室で暮らしている片桐さん(佐藤浩市)は、かつてカエルくんと一緒に戦って東京を大地震から救った男だが、そのことを覚えていない。カエルくんが新宿歌舞伎町のゴミの中から登場する。ゴミだらけのカエルくんは、シャワーを浴びてサッパリしてから、片桐さんに再びみみずくんと地下で戦わないと東京に大地震が起こると言う。一緒に戦ってくださいと頼みに来るのだ。カエルくんののんの声はいい感じだ。人間っぽくない感じがするのだ。地下深くへと降りていくカエルくんと片桐さん。幻想世界の部屋で錦戸亮が出てきて、「大きな出来事がある度に騒ぐだけ騒いで、あんたはどこへも向かってヘんわ」と片桐はどつかれる。そして「すべてを忘れろ」と何かを飲まされそうになる。しかし、片桐さんは幻想のパラレルワールドの部屋から、「カエルくんのいる世界に戻りたい」と願って戻ってくる。なんとかカエルくんはみみずくんとの戦いを終えて、傷だらけで闇に消えていくことを電話で話す。そして「僕はあなたの影なんです」と言うのだ。『街とその不確かな壁』と同じように、自分ともう一つの自分の影。ふたつの世界。現実世界に戻った片桐さんはいつものように新宿の街のゴミを拾い続けるのだった。
内田樹が『もういちど村上春樹にご用心』という本の中で、村上春樹の「文化的雪かき」(『ダンス・ダンス・ダンス』より)という言葉を紹介しながら、「一人一人の雪かき仕事のような無名の、ささやかな献身の総和として、世界は辛うじて成り立っている。彼にはそういう労働哲学がある。」と書いている。
私たちの世界はときどき「猫の手を万力で潰すような邪悪なもの」が入り込んできて、愛する人たちを拉致していくことがある。だから、愛する人たちこそがその「超越的で邪悪なもの」に損なわれないように、境界線を見守る「センチネル(歩哨)」が存在しなければならない・・・というのが村上春樹の長編の変わることのない構図である。(中略)誰もがやりたがらないけれど、誰かがやらないと、後で誰かが困るようなことは、特別な対価や賞賛を期待せず、一人で黙ってやっておくこと。そういうささやかな「雪かき仕事」を黙々とつみかさねることでしか「邪悪なもの」の浸潤は食い止めることができない。(中略)世界にかろうじて均衡を保たせてくれるのは、「センチネル」たちの「ディセント」なふるまいなのである。(P245)
カエルくんと一緒に戦う片桐さんは、センチネル(歩哨)である。大地震、災害、新型コロナウイルス感染症、山火事、台風、異常気象・・・私たちを突然襲う不条理な暴力はいつやって来るか分からない。『地震のあとて』というドラマは、そういう時代に私たちは生きているということを示すドラマである。かつて「戦争」という非日常的な暴力があった時は人々は大きく人生を狂わされた。そして、いまもまた世界で「戦争」は起きているし、災害や地震も起きている。この人間を越えた超越的な力=暴力に晒されて、空っぽになったり、どこかへ消えていなくなったり、死んでしまったり、神を呪うこともあるだろう。それでも、カエルくんや片桐さんのように、小さな日常の「雪かき仕事」をやり続けるしかないのだ。カエルくんは自分の影なのだ。
【原作】村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』より、
『UFOが釧路に降りる』『アイロンのある風景』『神の子どもたちはみな踊る』『かえるくん、東京を救う』
【脚本】大江崇允
【音楽】大友良英
【出演】
(第1話)岡田将生 橋本愛 唐田えりか 北香那 泉澤祐希 吹越満 /(第2話) 鳴海唯 黒崎煌代 堤真一 /(第3話)
渡辺大知 渋川清彦 黒川想矢 木竜麻生 井川遥 /(第4話) 佐藤浩市 錦戸亮 津田寛治 のん(声) ほか
【制作統括】山本晃久 樋口俊一 京田光広
【プロデューサー】訓覇圭 中川聡子
【演出】井上剛
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