戦前の1935年の古いモノクロ作品。成瀬巳喜男のトーキー3作目。劇作家の中野実の戯曲『二人妻』を映画化。男が妻とは別にもう一人の妻を持ち、二つの生活拠点を持つ家族の話で、ある意味成瀬巳喜男らしい作品で面白かった。都会的な男女の軽いコメディタッチの会話と田舎の家族の心情的に重い描写が対照的に描かれる。
オープニングは東京のビル街と帽子を被ったサラリーマンたちの歩き。エレベーターからの景色のような縦移動のワイプ。駅のホームの雑踏や電車など都会の風景が映し出される。そしてオフィスでハイカラな帽子を被ってまだ仕事をしているオフィスレディ千葉早智子を横ドーリーしながらカメラが近づき、給仕の男の子が茶碗を片付け流行歌の「青空」を口笛で吹いている。この口笛の他にも叔父さんの義太夫、千葉早智子が料理をしながら口ずさむ歌、ギターを弾く恋人、田舎の少年が歌う唱歌など「歌」が繰り返される。歌や音楽、街の太鼓やチンドン屋など成瀬巳喜男がよく使う演出手法だ。オフィスの外では恋人(大川平八郎)が待っている。恋人のような、腐れ縁の友達のような二人の会話がテンポ良く展開され、別れたかと思ったら並んで歩いて追い抜いたり、二人の面白い動きを横移動で撮影する。そして立ち止まって二人の切り返しの芝居が始まるのだが、この映画はやたらとイマジナリーラインを無視したようなライン越えを度々やっている。顔の向きや位置関係が混乱するほどだ。速いパンやドーリーなどの移動撮影も多く、いろいろなカメラの動きがある。成瀬らしい撮影手法がまだ定まっていない感じがした。
千葉早智子の母の伊藤智子はやたらと化粧が濃い。歌人でもあるらしく、歌の弟子もいる。いい歌を思いつきそうなときは一人の世界に入っており、ちょっと気難しいところもある。夫(丸山定夫)は15年前に家を出て行ったらしく、長野で別の女性と暮らしており、毎月金を送ってくるだけだ。あるとき、娘がタクシーから父が東京で歩いている姿を目撃して追いかけるが見失ってしまう。きっと家に帰ってくるだろうと思い、ご馳走を作って待っているのだが、その日も父は家に姿を見せなかった。知り合いの仲人を母が頼まれたこともあり、娘の千葉早智子は父が暮らす長野へ行って、東京に連れて帰る決心をする。
モダンな都会の男女たちとは正反対の長野の田舎の風景。都会娘の千葉早智子の服装は場違いである。父の丸山定夫は砂金獲りで「一山当てよう」と夢を抱いているようだが、その事業もうまくいっていないらしく、一緒に暮らす芸者あがりのお雪(英百合子)が髪結いをやって生計を立てている。しかも家には、長女・静子(堀越節子)とまだ学生の長男・健一(伊藤薫)がいて、4人家族として暮らしていた。東京の家に送金してくれたお金も父からではなく、お雪が工面していたことを娘は知る。父は、しっかりしていて出来過ぎの母を「偉すぎてやりきれない」と言う。それより、自由にやりたいことをやらせてもらいながら、陰で支えてくれるお雪のような女性といる方が居心地がいいのだと娘の千葉早智子は感じる。子どもたちもすっかり父に懐いており、父はここで暮らす方が幸せなんだろうと思う。東京と長野、場所を移動することによって、娘の千葉早智子の思いは変わる。
仲人などのために一度は東京へ戻ってきた父だったが、母との溝は埋まらない。母は、父が長野に帰ると言っても、「どうぞ、お達者で」と言うばかり。「人は皆、心ごころですもの。帰るというのを無理に止められません」と一人哀しみに沈む。そして、父は再び長野のお雪のもとへと帰って行くのであった。最後の別れのシーンもカメラの前後の動き、ドーリーインの移動撮影やズームなどを多用する。
長野の息子の健一が千葉早智子のことを、「東京のお嬢様ってなんなの?」と母や姉に聞き、「お父様の大切な方なの」、「大切な方って?」、「それは健ちゃんが大きくなれば分かるわ」と繰り返し説明される。大人の事情に翻弄される子どもたちが描かれた『秋立ちぬ』(1960)でも娘が妾の母に父のことを聞くのと同じことが繰り返されている。あの映画では、子供を置き去りにして母が男と駆け落ちしてしまう話だった。この映画も、父は母とは別の家庭を持っていることで、子供は翻弄される。成瀬映画にあっては、いつでも男と女の愛は日常の家庭に混乱を引き起こす。それでもどうしようもない人間関係の心情のもつれ、関係の難しさを描くのが成瀬映画の神髄である。
1935年製作/74分/日本
配給:東宝
監督:成瀬巳喜男
原作:中野実「二人妻」
脚本:成瀬巳喜男
撮影:鈴木博
録音:杉井幸一
美術:久保一
編集:岩下廣一
音楽:伊藤昇
キャスト:千葉早智子、丸山定夫、英百合子、伊藤智子、伊東薫、藤原釜足、細川ちか子、大川平八郎
☆☆☆☆4
ログインしてコメントを確認・投稿する