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2024年12月04日18:43

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「海の沈黙」若松節朗〜昭和の時代の身勝手な男の妄想と美へのプライド〜

(C)2024 映画「海の沈黙」INUP CO.,LTD

脚本家の倉本聰の映画だ。現在89歳、北海道の富良野に住む倉本聰の創作意欲は衰えを知らない。本作を映画化するにあたり、倉本聰の並々ならぬ思いがあったと聞く。同時代の脚本家、向田邦子も山田太一も早坂暁も死んでしまった。監督の若松節朗は倉本聰からの指名であったそうだ。若松節朗は共同テレビ時代、20年ほど前に渡哲也主演の倉本聰ドラマ『祇園囃子(はやし)』(2005年テレビ朝日系)を演出している。

「美」とは何か?という映画である。誰が本当の「美」をわかっているのか。あなたが感じている「美」は、本当にあなた自身の心の内から感じたものなのか?世間的に有名だったり、歴史に名が残るアーティストだったり、そういう世間の評判や社会的名声や権威に左右されていないか?究極の美をあなたは感じられるのか?と問うている。そして、世間的な評判に惑わされている俗人に強烈な疑問を投げかけている。贋作が本物よりも優れていた場合、それは「美」ではないのか?

<ネタバレありで、以下書いています。ご注意ください。>

ただ、芸術家特有の傲慢さを感じてしまう。「美」をわからない奴は、ゴチャゴチャ言うな。経済的な価値や世間の評判ばかり気にしている奴に美のことが本当にわかるのか?という傲慢さだ。「美」には、それを感じる人のそれぞれの価値があっていいはずだ。社会的評価や名声はあとからついてくるものだ。それぞれの感性に従って、美を感じればそれで良い。ただそれだけの話だ。

『海の沈黙』は芸術家の男の傲慢さが感じられた。今の時代に、この映画の女性の扱い方、描き方に古臭さを感じた。女は男のモデルでしかないのか?母親の愛の代用品でしかないのか。まず刺青のモデルだった牡丹(清水美砂)が用済みとなって自殺しなければいけない苦悩が何も描かれていない。単に、「全身刺青の女性の死体が上がった」というミステリーの道具立てにしかなっていない。さらに、スイケン(中井貴一)が津山竜次(本木雅弘)にあてがう新しい女、あざみ(菅野恵)の存在はなんなのだ?都合のいい若い女?「若い肌はやっぱりいい」などと喜びながら、清水美砂から若い女に乗り換えるだけじゃないのか?竜次が血を吹いて倒れたとき、あざみは裸になって竜次を暖める。そして、この暖かさは「母親のものだ」と過去を追憶する。これでは自分を看病してくれる男の都合のいい女でしかないのではないだろうか?

そんな竜次(本木雅弘)に共感があまりできない。まず、竜次の弱さや失敗が描かれていないからだ。過去への悔恨が無い。若い頃に田村修三(石坂浩二)らに、くだらいない理由で美術界から排除させられた話が出てくる。師事している恩師の画家の絵を塗りつぶして竜次が描いた傑作が「海の沈黙」だった。しかし、師事した画家の絵への冒涜や娘である安奈(小泉今日子)の背中に刺青を描こうとしたことなどの理由から、傑作の絵の価値を認めようとしなかった、といういきさつ。美術界から遠ざかり、社会的名誉よりも芸術の「美」を選び、それを貫き通した孤独な人生。金や社会的名誉を重んじる美術界や新聞、政治家などの俗世間のくだらなさが描かれる。竜次は孤高の芸術家として、そんな俗世間のくだらなさに耳を貸さずに絵を描き続けた。個展も海に見せただけ。人と関わることを拒否しつつ、スイケン(中井貴一)の援助は受け、刺青のモデルとして若い女は受け入れる。「あの女の肌は美しい」「あの娘はいいね」と。「落日」は贋作ではなく、「手直ししていい絵にしてやった」と不遜な発言もする。スイケン(中井貴一)が修三(石坂浩二)に「あの絵を見てどう思いましたか?負けたと思ったでしょう」と言うように、美は「勝った、負けた」で表すものではない。「芸術をわからないくせに、社会的な評価や基準で判断するな」という芸術家の傲慢さが感じられる。「美は俺だけ(わかる人だけ)がわかっている」、「わからない俗物はくだらないこと言うな」という作り手の傲慢な声が聞こえてくる。だから「あの赤を」とキャンバスの前で苦悩する竜次(本木雅弘)の姿も滑稽でしかない。

夜の海の浜辺で夜通し「死者たちが戻ってこれるように、浜辺でかがり火を燃やす」話は、倉本聰の過去のドラマでもたしか使われていたと記憶する。「死んだ母親、父親への想い」から、あの時のかがり火の色にこだわる。海(死者)から見たであろう火の色。贋作の話も、「倉本聰の偽物が現れた」過去のドラマを思い出す。贋作が本物より優れていたらどうなのだ?という発想から生まれた映画だが、どちらがいいか、という美的価値もまた相対的なものなのではないか。絶対的な美の基準というのはあるのだろうか?オリジナリティとは何か?美とは?芸術的な評価とは?純粋な美にこだわる思いは理解できるが、「純粋な美」などあり得るのか?究極的な価値とは、結局は人それぞれでしかない。誰もが認め、評価されているものが、すべての人にとっての価値ではない。それだけのことだ。

過去の倉本聰のドラマには、笑いとペーソスがあった。『前略おふくろ様』には、テレビが取材に来るといって大騒ぎして、権威や社会的な話題に翻弄され、右往左往する人間の弱さが、笑いとともに温かく描かれていた。本作には、そんな権威に弱い人間が否定されるべきものでしか描かれていない。そこが一面的な映画にしている。

オープニングでクローズアップを多用しながら、もったいぶった画作りが行われていた。映画の中盤まで登場しない竜次(本木雅弘)の存在が魅力的に思えないし、やたらとアップの多い安奈(小泉今日子)にも魅力を感じなかった。ドローンを使った真上からのショットが何度も見られたが、流行で使っている感じぐらいにしか思えなかった。


2024年製作/112分/G/日本
配給:ハピネットファントム・スタジオ

監督:若松節朗
原作・脚本:倉本聰
製作: 曳地克之
プロデューサー:佐藤龍春
アソシエイトプロデューサー:谷山一也、増子美和、中村和夫、牛田直美
撮影:蔦井孝洋
照明:緑川雅範
録音:鶴巻仁
美術:瀬下幸治
編集:新井孝夫
音楽:住友紀人
絵画協力:高田啓介
キャスト:本木雅弘、小泉今日子、清水美砂、仲村トオル、菅野恵、石坂浩二、萩原聖人、村田雄浩、佐野史郎、田中健、三船美佳、津嘉山正種、中井貴一
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