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2024年09月30日21:10

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「海のはじまり」ほか2024年夏ドラマについて

生方美久脚本の『海のはじまり』(フジ・月曜21時)については、スタートした頃に1度感想を書いた(https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1988095574&owner_id=3912568) が、最終回を迎えてまとめてみる。

「海は、どこから海?」という海(泉谷星奈)という6歳の少女からの海辺での母の水季(古川琴音)への問いで始まったこのドラマは、最終回を迎えて、水季から「夏(目黒連)くんへの手紙」で再びナレーションで触れられる。「はじまりは曖昧で、終わりはきっとない」と。この言葉が象徴的だ。海辺のシーンは、水季(古川琴音)から夏(目黒連)と海(泉谷星奈)の組み合わせに入れ替わり、海辺が繰り返し反復されて終わる。

このドラマは、夏が父親になるまでの物語でもあるのだが、死んでしまった水季の不在の哀しみを登場人物のみんなが抱えるドラマである。ドラマのなかで、いろんな人が何度も海に言う。「みんなが急に大人になるわけじゃない。知らないうちに少しずつ大人になっていくんだ」と。「はじまり」はいつだって曖昧なのだ。好きになることも、父になることも、大人になることも。不在になっても「海のママ」であることは変わらないし、かつて不在だった夏くんがいま「海のパパ」になっているように、不在でも「いるよ」ということだ。一緒にいた事実は変わらないし、思い続ければいつでも不在の人間はそこにいる。海が不安になって振り返ったとき、水季は「いるよ」と答え、夏もまた「いるよ」と答えた。

このドラマは大きな展開があるわけではなく、学生時代に付き合っていた水季が夏と別れ、一人で子供の海を産み育て、死んでしまったという初期の設定だけで成立しているドラマである。現在の恋人同士だった夏と弥生(有村架純)が、残された少女の海をどう受け入れていくか?そして、水季に思いを寄せていた図書館で働く津野くん(池松壮亮)は、いきなり父親になろうとする夏をどう受け入れるのか?水季の両親である利重剛と大竹しのぶも、夏の両親の林泰文や西田尚美も、弟の木戸大聖も同じだ。

水季が好きだった「鳩サブレー」は、繰り返し夏や海によって持ち出され、「線の上を歩く」水季の動作は海が同じように繰り返し、「フィルムカメラの撮影」も何度も繰り返される。津野くん(池松壮亮)と水季(古川琴音)のエピソードで使われた「おにぎり」は、大竹しのぶと海とのエピソードでも繰り返し使われた。「靴紐を結ぶ」という動作も古川琴音と池松壮亮で繰り返されたし、海のことを両親に言っていない夏(目黒連)の「手をピシャリと叩く」というアクションも、大竹しのぶと有村架純によって反復された。水季が残した童話「くまとやまねこ」は繰り返し読まれ、母の水季と一緒に歩いた「登下校の道」も「図書館通い」も、繰り返し海のなかで反復される。夏くんのアパートの階段を昇って、一人で鍵を開ける仕草も、海は繰り返すことで海の人生になっていく。このようにさまざまな動作やアクションを反復することで、人々の思いは重なり、人生が積み重なり、このドラマは構成されている。何よりも弥生(有村架純)の産婦人科で書いたノートの文章が、水季(古川琴音)に読まれ、水季から「夏くんの恋人へ」という手紙の中でブーメランのように弥生に戻ってきて繰り返された。「ちょっとズルをしてでも、自分で決めてください。どちらを選択しても、それはあなたの幸せのためです。あなたの幸せを願います。」

「反復とズレ」だけで、ドラマは成立する。大げさな展開や波瀾万丈の人生や殺人事件やサスペンスなどなくても、見応えのあるドラマになることは、映画監督の小津安二郎が実践していた。

さて、子供の扱いをめぐって家族や夫婦という形に囚われなくても、誰もが一緒に育てればいいんだという発想で作られたドラマが『西園寺さんは家事をしない』(TBS・火曜22時/脚本:宮本武史・山下すばる/原作:ひうらさとる)だった。『海のはじまり』で、少女の海ちゃん(泉谷星奈)を有村架純や池松壮亮や木戸大聖、大竹しのぶや西田尚美など、みんなで面倒をみるシーンと重なるように、松村北斗の一人娘ルカちゃん(倉田瑛茉)を亡くなった妻の代わりに、大家さんの松本若葉が疑似家族を始め、(仮)彼氏である津田健次郎も子育てに参戦し、松本若葉の母の高畑淳子まで加わってくるドタバタ・子育て&恋愛コメディだったが、男女の恋愛モノへと進んでいかないところが共通していた。恋愛よりもみんなで暮らすこと、恋人や夫婦、家族という狭い枠組みから自由になることが求められている時代なのかもしれない。それは「契約結婚」という設定が話題になった『逃げるは恥だが役に立つ』あたりから顕著になっている。恋愛至上主義ではない時代なのだ。

宮藤官九郎脚本の『新宿野戦病院』(フジ・水曜22時)もまた刺激的で挑戦的なドラマだった。多国籍な人種が暮らす新宿歌舞伎町の病院を舞台にしたドラマ。医療資格がないまま小池栄子が医療を施すという掟破りの設定ながら、外国人移民、ホームレス、虐待、トー横家出少女やパパ活などの現代の問題を浮き彫りにし、医療行為における格差や人権、平等とは何かを問いかけた。なかでも終盤に再びパンデミックの感染症が起こり、移民排斥運動が起き、レイシズムが蔓延し、世界の終りのような事態まで描いたところはお見事としか言いようがない。極限状況における人間の根源的なあり方が問われていた。

廣木隆一が監督・監修を務めた『錦糸町パラダイス〜渋谷から一本〜』(テレ東・金曜深夜24時12分/脚本:今井隆文 太田勇(テレビ東京) 石黒麻衣)も、街・場所にこだわった仲間たちのドラマで味わいがあった。柄本時生と今井隆文のドラマ初プロデュース作品。賀来賢人、柄本時生、落合モトキ、岡田将生らの出演者に魅力があった。何よりテーマ曲のラップ、MOROHAの「燦美歌」(読み:サンビカ)のインパクトが強かった。

『降り積もれ孤独な死よ』(読売テレビ・日曜22時30分/脚本:橋本夏/原作:井龍一/漫画:伊藤翔太)は、家庭内暴力、暴力の連鎖という暗く重い展開ながら、最後まで見応えあるドラマにしていたと思う。逆に『笑うマトリョーシカ』(TBS・金曜22時/脚本:いずみ吉紘、神田優/原作:早見和真)は、政治家の清家(櫻井翔)を影で操る「ハヌッセンは誰か?」という謎で最後まで引っ張ってきたサスペンスは、後半になるにつれて失速気味だった。
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