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2024年05月24日18:17

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日陰の達人、闇夜の天才、その24

性を遊ぶ女、その4

 新宿の夜景を見下ろすホテル。もし、筆者がエロ本屋以外の職業を選んでいたら、筆者程度の人間には生涯、泊まることのなかったシティホテルの一室。そこに宿泊出来たのは、ホテルには秘密で、こっそりと、そこで撮影することがあったからだ。撮影用のスタジオ代に比べれば一流ホテルの宿泊代は、まだ、安かった。ラブホテルは安いが、あまりにも部屋の印象が強いので、そこばかりは使えなかったという事情があった。
 ゆえに、彼女の宿泊する部屋に入ったときにも、筆者には、何の衝撃もなかった。一流ホテルなのに、慣れた部屋なのだ。そこだけは、まるで金持ちにでもなった気分になれるところなのだ。本当にエロ本屋とは奇妙な職業なのだ。
 大きな通りの向こうも高層ホテルだが、それでも、やっぱり夜景は美しい。いや、その夜景は悲しく寂しい。だから美しいのだ。その夜景は大きな窓の向こうにあって、まるでスクリーンに映し出された画像のように見えた。その大きな窓の内側には、これまた、大きなスーツケース。それは大人がそこに入っても大丈夫そうな大きさだった。
「本当に来たのね」
 スーツケースの前には一人掛けの肘掛け付きの椅子が小さなテーブルに向かい合って置いてあり、その一つに彼女は腰を降ろし脚を組んだ。真っ白なガウンに負けないほどの白い脚。編集者である彼女とは、仕事をしたり、酒を飲んだり、時にはエッチ過ぎる撮影までしていたのに、筆者は、気づいていなかったのだ、彼女が美人だったということに。
 テーブルには、アイスボックスの氷にシャンパンのボトルが差してあり、高級そうなシャンパングラスが二つと、ホテルでとったと思われるオードブルの皿が一つ載っていた。こちらは、同じホテルの部屋を使っていてもエロ本屋には用意出来ないものだった。お金もそうだが、エロ本屋だから、その頼み方さえ知らないのだ。
「シャワー浴びて来て、一緒に、裸で飲みましょうよ」
「そういう趣味なんですか」
「違うわよ。ガウンぐらい着てよ。下着なしでって意味よ。楽だから」
「全裸のほうが楽ですけどね」
 そう言って筆者はシャワーを浴び、彼女の言うようにガウンだけを羽織って、彼女の前の椅子に座った。シャンパンは未開封だった。コルクを押さえてシャンパンを開けるのは男の仕事なのかもしれない。彼女からは仕事をもらう身分であり、イベントではギャランティをもらう身分だった。そんな彼女が、シャンパンの開封が出来ずに筆者を頼っている、それが、筆者には少し可愛いように思えた。
「エロは卒業することにした。日本も卒業。どうにかなると思ったんだけどね。どちらも、どうにもならなかった。合わなかったの、エロも日本も。男も女も合わなかった。本作りは嫌いじゃなかったし、エロイベントの企画も楽しかったんだけどね。どっちも、結局は人間関係ばかり求められるんで、うんざりになったの」
「セックスが嫌いなんだろうな、と、思ってました」
「そう思っても、求めるものでしょ、男って。君ぐらいなのよ、そこを大きくしているのに、身体を求めない男は。射精と愛情が分離しているんでしょ」
 そんなことはない。愛のないエロに慣れているだけなのだ。それはエロ本屋なのだから当たり前なのだ。
「誘ってくれる人があってね。向こうで普通の音楽の仕事することになったの」
 向こうで、と、言うのはアメリカのことなのだろうと思ったがそのままにした。普通の音楽というのはエロではない、という意味だと思ったがそのままにした。そして、アメリカで音楽の仕事をする、というのは普通ではないと思ったがそのままにした。
「だから、私が日本に帰って来るまで待っててくれる、と、そういう」
「違うよね」
「だから、最後に私を抱いて、と」
「エロは卒業したって言ったよね。だいたい、そんなにしたくもないんでしょ」
「したいですよ。まあ、それはいいとして、では、そんな最後の夜に、どうして」
「どうしてかなあ。最後の夜はゴールデン街とも思ったけど、それも違う気がして。でも、一人も寂しい。だからって、最後の夜にセックスだけは絶対に嫌だったの。でも、色気ないのもね、違うような気がした。笑うのも違う。酔っぱらうのも違う。濡れないのも違う。男が興奮してないのも違う。あれもこれも違う、と、思ったら君を思い出したの」
 褒められている気分にはならなかった。しかし、悪い気もしなかった。彼女のガウンは酔いに任せえて開き、豊かな胸や多過ぎる股間の黒いものが露出していた。筆者のそれは興奮して、やはり、だらしなく開いたガウンから露出していた。だからといって、彼女を触りに行くこともしないし、また、彼女もこちらには触れては来ない。何とも奇妙な二人だった。
 筆者は、これも、また、彼女の考えた一つのイベントなのではないだろうか、と、そう思った。セックスとは別の、射精とは別の性の遊び。彼女は性の遊びを作り出す天才だったのだ。コミック雑誌のアイディア、性のイベントの企画、新しい性風俗店、アダルト産業に新風を吹き込み、彼女はそこを駆け抜けた。
 彼女の「この指とまれ」という仕事は、おそらく世界中のどこでも、それがどんなジャンルの仕事であったとしても通用することだろう。
 ゆえに筆者は残念に思った。彼女がアダルト産業に生涯を捧げてくれたら、アダルト産業は、もっと別の顔を見せていたかもしれないのだ。筆者たちが考えも及ばないような世界がそこに生まれたかもしれないのだ。
 筆者は「私の仕事は、この指とまれ」なのだ、と、言った彼女のことが今も忘れられない。エロの世界に寄り道し、そこを駆け抜けた天才。今から思えば、そこまでの美人ではなかったのかもしれないが、彼女を美人と認識したのが最後の夜だけだったこともあり、すでに筆者の中では、彼女が絶世の美女となってしまっている。そんなことがあるはずもないということは、分かり過ぎるほどに分かっているというのに。
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