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2024年02月15日21:56

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映画「夜明けのすべて」三宅唱〜深い闇夜のなかでユートピアとしての宇宙船のように〜

街の夜景がロングショットで映し出され、光の中を電車が走っていく場面が何度かある。それはまるで宇宙を走る銀河鉄道のように見えた。なぜならこの映画は宇宙の時空間の広がりを感じさせる映画だからだ。さらに夜の事務所が美しい。上白石萌音と松村北斗の二人が、夜の事務所のデスクの小さな明かりの下で、移動プラネタリウムのプログラムの原稿を考えているシーン。また、社員が集まって宇宙の映像を見ている夜の事務所を窓外から撮ったシーンは、まるで事務所が宇宙船のように見えた。宇宙に浮かぶ一時的な運命共同体。そう、この映画は広大な宇宙の中でバラバラに生きている人たちが、ひと時、同じ場所に集まって、時間をともに過ごす。そのつながりと時間を大切にしている人たちの映画である。

そして、それは過去の死者の声をキッカケにして、未来の夜明けを感じさせてくれる映画でもあるのだ。過去から未来へ、夜空を見ながら語りかけること。PMS(月経前症候群)を患っている女性も、パニック障害を抱えている男性も、突然弟を失ってグリーフケアのセミナーを受けている社長も、みんなそれぞれが生きづらさを抱えながら暮らしている。バラバラであるそれぞれが、少しずつお互いを気遣いながら働いている「栗田科学」という会社は、一種のユートピアのような場所である。広大な闇夜の宇宙に浮かぶ運命共同体、宇宙船のようなユートピア。それは、青山真治監督の『サッド ヴァケイション』の「間宮運送」のようでもある。青山真治の『EUREKA ユリイカ』の秋彦を演じた斉藤陽一郎は、この映画の中で光石研の亡くなった弟の遺影として写真に登場する。光石研もまた青山真治映画の常連だった。

光石研の亡くなった弟(斉藤陽一郎)のプラネタリウムの解説の声が録音されているカセットテープを倉庫の中から松村北斗が見つける。それはまるで、去年亡くなった青山真治監督の声でもあるのではないか。三宅唱監督が聞こえた死者の声、青山真治の声に導かれてこの映画は作られ、広大な時空間の夜空の広がりを感じる疑似宇宙、プラネタリウムのメッセージとなって斉藤陽一郎の声とともに、松村北斗、そして上白石萌音の声へとつながっていった。ラストの移動式プラネタリウムそのものが映画館のようでもある。鈴木清順の映画がかつて「シネマ・プラセット」という移動式ドーム型映画館で上映されたように、この移動式プラネタリウムもひと時の闇の中での物語と時間の共有という意味では、映画館でもある。単なる障害のある生きづらさを抱えている男女の物語だけではない時空間の広がり、そして過去の声からのつながりがこの映画にはある。それをまた映像で記録する中学生たち。その映像をまた会社で上映してみんなで見るのだ。もう、映画そのものがここにある。同じ夜や同じ朝など一つもなく、変わり続ける闇と光、夜と昼、人生。その移ろう一瞬を切り取り、映し出すこと。それがこの映画に描かれているから感動的なのだ。時を同じく公開されたビクトル・エリセの『瞳をとじて』の映画館でのラストの上映とこの映画が呼応しているのも、なんだか感慨深い。ちなみにカセットテープは『PARFECT DAYS』つながりでもある。

列車が何度も映し出され、線路や鉄橋、自転車、夜の歩道橋やトンネルなど印象的なシーンが随所にある。松村北斗が上白石萌音の忘れ物のスマホを自転車で届ける場面の光の美しさ。突然の地震と停電。窓のサッシ越しの映像。上白石萌音がPMSの発作を起こし、二人で一緒に車を洗う場面の動作のシンクロ。自転車を引いて歩く松村北斗は肉まんを食べながら初めて「美味しい」という言葉を発し、上白石萌音と一緒にトンネルの下をくぐろうとする。パニック障害は、何を食べても美味しいと感じないはずだったのに。しかし、決して二人で一緒にトンネルはくぐらず、忘れ物を取りに松村北斗は引き返していくのだ。恋人にならないこの二人の関係、距離感がいい。松村北斗の元彼女の芋生悠はロンドンに転勤し、上白石萌音は会社を辞めて母の実家のそばに行ってしまうが、ラストの松村北斗の表情はどこか清々しい。

上白石萌音は、最初から会社のみんなにおやつを買ってきて振る舞っていた。シュークリームを要らないと言われた松村北斗のために柴漬けをわざわざ買い、パニック障害で電車に乗れない彼のために自転車を持ってくるお節介さ。新年に神社のお守りまで買ってきちゃうような女性だ。そんな構われ方が最初は煩わしい松村北斗だったが、最後に彼はたい焼きを会社のみんなに買ってくる。分け与え、振る舞うこと。社長の弟の遺影に供物の酒をつぐシーンもそうだし、最初に部屋でエアロバイクを漕ぎながら会社の悪口を言っていたのが、ヘルメットをかぶって彼女のために自転車を走らせることでも、松村北斗の変化が描かれている。

ラストのエンドロールの会社の全体が映る場面のワンカット長回しがまたいい。キャチボールをする二人、階段から降りてくる人びと、ニワトリに餌をやり、それを撮影をしている中学生たち。この場所(栗田科学)で生きる人たちのそれぞれの人生がここにあることを、この引きのワンカットの映像で見せている。考えてみると三宅唱の前作『ケイコ 目を澄ませて』の古いボクシングジムもまた、人々の拠り所のような場所だった。三宅唱は、そういう人々の拠り所のような場所を描くのが好きなのかもしれない。大きな世界の中にある小さな拠り所となる場所、そんな場所さえあれば、人は救われる。その場所、空間を丁寧に描く。

上白石萌音が松村北斗の髪を切るシーンが二人の距離を縮める意味合いで使われている。笑いが起こるとてもいいシーンだ。この髪を切るシーンもこれまでも数多くの映画で使われてきたように思う。そんな過去の映画たちへのオマージュが込められているような気もする。ラストの上白石萌音の母親(りょう)を車椅子に乗せて車を見送るシーンの天気雨は、冒頭の土砂降りの雨と対応している。冒頭の上白石萌音のモノローグは、なんだか不器用で下手くそだったが、ラストのプラネタリウムの解説の声は気持ち良かった。そんな風に、ひとつひとつの演出の積み重ねが映画全体を心地よいものにしている。原作は未読だが、ネットによるとプラネタリウムのパートは映画化に際して加えられたもののようだ。夜になって星が瞬き出す時間から始まり、朝の夜明けとともに終わるプラネタリウムの虚構の時間こそを、映画そのもののように三宅唱は描きたかったのかもしれない。

<引用>(シナリオ2024年3月号より)
夜についてのメモ
夜明けがいちばん暗い。これはイギリスのことわざだが、人間は古来から夜明けに希望を感じる生き物のようだ。たしかに、朝が存在しなければ、あらゆる生命は誕生しなかっただろう。しかし、夜が存在しなければ、地球の外の世界に気づくこともできなかったであろう。夜がやってくるから、私たちは、闇の向こうの途轍もない広がりを想像することができる。私はしばしば、このままずっと夜が続いてほしい、永遠に夜空を眺めていたいと思う。暗闇と静寂が私をこの世界に繋ぎとめている。どこか別の街で暮らす誰かは、眠れぬ夜を過ごし、朝が来るのを待ちわびているかもしれない。しかし、そんな人間たちの感情とは無関係に、この世界は動いている。地球が時速1700キロメートルで自転している限り、夜も朝も、等しくめぐってくる。そして、地球が時速11万メートルで公転している限り、同じ夜や同じ朝は存在し得ない。いま、ここにしかない闇と光――すべては移り変わっていく。一つの科学的な真実—―喜びに満ちた日も、悲しみに沈んだ日も、地球が動き続ける限り、必ず終わる。そして、新しい夜明けがやってくる。
                    

2024年製作/119分/G/日本
配給:バンダイナムコフィルムワークス、アスミック・エース

監督:三宅唱
原作:瀬尾まいこ
脚本:和田清人、三宅唱
企画・プロデュース:井上竜太
チーフプロデューサー:西川朝子
プロデューサー:城内政芳
撮影:月永雄太
照明:秋山恵二郎
録音:川井崇満
美術:禪洲幸久
編集:大川景子
音楽:Hi'Spec
キャスト:松村北斗、上白石萌音、渋川清彦、芋生悠、藤間爽子、久保田磨希、足立智充、宮川一朗太、内田慈、丘みつ子、山野海、斉藤陽一郎、りょう、光石研

画像(C)瀬尾まいこ/2024「夜明けのすべて」製作委員会
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