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2023年12月12日15:27

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老いた編集者老いを語る、その4

 最近の編集者はものごとを深く考えないらしい。インターネットというメディアで二百文字程度の情報を扱うなら、むしろ、深く考えないほうがいいのかもしれないが、深く考えないということは、誰が書いても内容は同じだということになり、結果として、編集者は自分の特異性を失い、職も失うことになるのではないだろうか。そんな心配は、筆者にはいらない。何しろ、もう、引退しているのだから。
 ただ、筆者は思うのだ。
 編集者というものは落ちて腐ったリンゴを見て世界滅亡を予感するからこそ、編集者なのではないか、と。落ちて来るリンゴを見たら、これは誰かが故意に落とし、自分の命を狙ったものかもしれない、と、考え、リンゴで人が殺せるかどうかについて考え、しかし、白雪姫の例だってあると考え、毒入りリンゴが頭で砕け、その毒で死ぬことだってあるはずだ、と、このように深くものごとを考えるから編集者なのだ。
 筆者が好きなある女流作家がどこかの雑誌の対談のようなもので、こんなことを言っていた。
「小説を書くのは、かんたんだ。いい映画を観て、その後日談を場所と主人公の名前を変えて書けばいいだけなのだから」
 筆者は思った。そんなことが出来るから、あなたは作家になれたのではないか、と。
 さて、ものごとを深く考えるのには集中力が必要になる。ところが、この集中力というのは、どうやら若さが必要だったようなのだ。老いると集中力がなくなるのだ。
 たとえば、小説のネタについて考えていたとしても、ものの五分もすると、週末にどこで何を食べようかと考えていたりするのだ。
 しかし、その程度なら、まだ、いいのだ。
 喫茶店でこうしたものを書いているときに、どのタイミングでトイレに行くべきかについて考えはじめることがあるのだ。何かを一本書き上げてから行くべきか。いや、先にトイレに行ってすっきりして残りを書くべきか。いや、それでは今のイメージが維持出来ない、そもそも、書こうとしていたことを覚えていられる保証もない。それなら、きりのいいところで、きりとは何か。いったい文章はどのような構成で切り分けられているのか。その前に文章とは何か。
 そんなことを考えている内に、トイレに行くことも、ものが書きかけのままだったのも忘れ、パソコンを畳んで店を出てしまうのだ。店を出た瞬間に、尿意のあることを思い出してしまう、が、ここが問題なのだ。一度、店を出ている。店に戻ってトイレに行くなら、もう一度コーヒーを頼むべきだ。いや、トイレぐらいいいじゃないか。何しろ、今、その店にいたのだから。しかし、それを店の人は覚えてくれているだろうか。
 考えている間に再び尿意を忘れて歩いている。
 一つのことを考える集中力がないのだ。仕方なく、近所の公園のトイレに行き、すっきりした後、このことを書いておこう、と、喫茶店に入る。何かがおかしい。それは困ったことではあるのだ。しかし、楽しかったりもする。それが老いるということなのかもしれない。
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