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2023年08月04日12:50

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三谷さんのエッセイに大いに共感

 朝日新聞の三谷幸喜さんの連載エッセイ「ありふれた生活」は第一回目から毎週欠かさず読んでいる。
 かれこれ二年ぐらい前に掲載された話で恐縮なのだが、大いに共感した話があった。
(三谷さんは)還暦をむかえたというのに自分には威厳がないという内容なのだが、このように書かれていた。
「偉そうに見えないように極力注意を払って生きてきた。その努力が実ったともいえなくない。(中略)普段から、細心の注意を払って小物感を醸し出す努力をしている甲斐あって、スタッフは遠慮なく台本に注文をつけてくれる。ありがたいことだ(それでも多少の気は使ってくれているでしょうが)」
 じつはぼくも威厳をまとわないように生きてきた。
 子供のころ、分らないことを父に尋ねると、よく蔑んだ態度でこう言われたものだ。
「そんなことも知らないのか」
 そして答えを教えてくれるでもなく、自分で辞書で調べろと不機嫌に言い放たれた。
 そんなことが何回も、そして何年も続けば、子供はもう何も尋ねなくなる。ぼくは思うのだが、そういう経験を持った者が大人になったとき、自分の子供に同じ態度をとってしまうケースは多いのではないだろうか。もしかしたらぼくの父自身がそうだったのかもしれない。だとしたら負の連鎖だ。
 ぼくはいつの頃からか(たぶん高校生ぐらいのころ)、そのトラウマを反面教師にしようと決めた。何でも言い合える人間関係を築こうと思ったのだ。それには威厳なんて邪魔でしかなかった。だから歳を重ねて敬語を使われる機会が増えてからは、なおさら意識して威厳や貫禄を遠ざけた。
 その甲斐があったと自分では思っているのだが、妻とぼくはかなり何でも言い合えている気がする(それでもお互い、多少の気づかいはあるが)。重い話(お金や退職の話)をしなければならないときでも、切り出しやすい雰囲気を保っている。ましてや軽い話題のときには言うに及ばず。先日は一緒に長野県を紹介しているテレビ番組を見ていて「あれ、何て読むの?」と訊かれ、「『あずみの』だよ」と答えた。これでいいのだ。
 父は九年前に八十四歳で亡くなったが、晩年、ワープロ(パソコンではなくワープロ)操作のことをぼくに何度か訊いてきた。文書の保存の仕方など、かなり初歩的なことばかりだった。歳老いてからこうした機器の操作を覚えるのはさぞかし大変だっただろう。一度説明したぐらいでは覚えられないことは容易に想像がつく。なので操作手順をワードで作ってプリントアウトして渡したこともある。それでもやっぱり混乱して訊いてくる。そんなとき、父は言い訳するように、よくこういう前置きをした。
「こんなことも分らないのかと言われそうだけど」
 それに対し、ぼくは必ずこう答えた。
「そんなふうに思わなくていい。何度同じことを訊いてもかまわない。何度でも説明する」
 負の連鎖は、自分が断ち切れば良いのだ。
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