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2021年04月02日12:19

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「俺の家の話」の見事な最終回!不在の私

宮藤官九郎脚本「俺の家の話」の最終回、遅ればせながらやっと観ました。久々に予定調和に終わらない宮藤官九郎の力技に感服いたしました。さすがであります。

遺産相続狙いの結婚詐欺話でも、老人認知症介護の家族の再生の物語でとどまることなく、能とプロレス、仮面(「能のお面のように自分がない」こと)、生と死の交わる空間、能舞台、プロレスのリング、墓の前、家族の食卓の特権的空間の演出、そして生と死の境界を越えて不在の死者が家族をつなぐ物語としてアクロバティックに展開した最終回は本当にお見事でした。

寿一は「自分がない」男であり、「空」の存在。誰でもないからこそ、誰にでもなれる。だから、能の面をかぶり、プロレスの覆面をかぶり、バラバラになった家族をつなぐ。生と死が出入り自由となる特権的空間を見事に創出したドラマは、演劇出身である宮藤官九郎ならではだろう。演劇の舞台こそ、生と死が出入り自由の空間であり、まさに能舞台とはその特権的空間を創出し続けている伝統芸能である。その「場」にこだわり、不在を私を通して、異端な人々が集える場が必要され描いた。発達障害的な学校不適応児童から、ラッパー、ダンサー、プロレスラー、落ちぶれた伝統芸能者、不倫しまくりのろくでなしの父親、血のつながらない兄弟たち。ひねくれ娘やモテない弁護士、そんな異端者たち、社会不適応者たちが集える場こそ、今必要であり、演劇的舞台空間として描かれたこのドラマの「家の話」であった。

1月クールのドラマでは、北川悦吏子の「ウチの娘は、彼氏が出来ない!!」も楽しめた。浜辺美波と菅野美穂の偽の母子の会話のテンポが面白かった。今どきの友達みたいな親子の会話、物語はその親子関係をめぐる展開だったが、これもまた象のマークが見える「ホッとできる家」=マンションの部屋が特権的「場」として表現され、古き良きたい焼き屋のお店もまた、人々がホッと集える「場」として機能していた。

岡田恵和の「にじいろカルテ」は、傷ついた善人ばかり登場するファンタジー的ユートピア村の話だった。コロナ禍でもう暴力や人間の嫌な場面は見たくないという癒しを求める時代の要請のようなドラマだった。やや気持ち悪いぐらいのみんなで助け合う善人ぶりが、非現実でありながらホッとできるコミュニティとして求められたのだろう。
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