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2021年02月10日18:53

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ドイツ軍参謀の観点からの第二次世界大戦論(32)------戦下手のチャーチル

6.6 チャーチルの惨憺たる失敗-----戦下手のチャーチル
(訳者序)
ドイツ軍が,クレタ島を占領する時期やロンメル将軍がトリポリに上陸する時期は,イギリスの地中海艦隊(H部隊)が,ビスマルク追跡に駆り出され,英軍の海上戦力が手薄となっていたことに注意してほしい。。

<日本語訳>
ウィンストンチャーチルは,ムッソリニと等しく戦略眼がないという白日の下に現らわした。我々がギリシャに入った時,アフリカの英軍は,リビア,エリトリア,アビシナを掃討していた。ここでは,イタリア軍は,いたるところで逃げ出すか,降伏していた。英国は,我々の攻撃が開始可能となるまえに,北アフリカの占領を完了させ,地中海の海上交通線を確保するチャンスであった。しかしながら,彼は, 英軍には,ギリシャ半島でドイツと長期間対峙するには,戦力が不足していたことを知っていたけれども,チャーチルは,道義上ギリシャを助け無ければならないことを自覚していると書いた。彼は,勝ち誇るアフリカ部隊から主要な部隊を引き抜き,軍の勢いを削き,クレタやギリシャに投入した。その結果,彼は,撃滅され血まみれとなった部隊を,小規模なダンクルクのように,すぐに撤退させなければならなかった。というのは,彼らは,イタリア軍と戦っているのではなかったからだ。アフリカに後退した残存部隊は,もう一度,ドイツ軍と対峙することになる。その間,ロンメル将軍がトリポリに上陸し,有名なアフリカ軍団でそこを強固にした。これにより,勝利にうかれた英軍のアフリカでの跳梁は,終りをつげた。アメリカ政府は,他の至るところでも同様であるが,ここでも彼らを救済しなければならなかった。

名誉は,チャーチルの不手ぎわな動きとは何も関係ない。彼は,第1次世界大戦のガリポリの大失敗以来,バルカン半島に取りつかていた。後になって,この取りつかれのため,戦争会議では,ルースベルトとは疎遠となり,ロシア人とアメリカ人にバルカンについて無駄に騒ぐ悲観的な取り巻きとしか扱われなくなった。その一方,ロシア人とアメリカ人は,北部平原における健全な戦略線に基づいて,戦争を終わらせるための計画を冷静に進めた。

もし,チャーチルがバルカンを放置し,将軍たちに1941年の初期にアフリカでの会戦をやり遂げることを許可していれば,ユーゴスラビアの破壊,その結果生じた連合軍へのモロッコ,シチリア,イタリアへの上陸は,全て必要なかったであろう。戦争は,2年ほど短くなり,双方とも多くの名誉の戦死や流血を防ぎえたであろう。しかし,そうはならなかった。

[訳者によるコメント]-----個人的見解
ドイツ軍の参謀によるチャーチルの評価は,極めて妥当であると判断している。イギリスの参謀総長からもチャーチルは,戦略家ではないと批判されて入るほどである。

英軍がギリシャにかまけている間に,ロンメル将軍がトリポリに上陸できたと主張している。この時期は,ビスマルク追跡により,英軍の地中海での海上戦力が手薄となっていたことに言及していない。やはり,大陸国の参謀は,海上戦力には,頭が回らないのであろう。チャーチルが無用に戦争を長引かせたと,米国のウェデマイヤー将軍をはじめ,多くの戦略家が指摘している。さらには,ウェデマイヤー将軍も,地中海での戦いは不要であったと主張している。

訳者は,イギリスの地中海艦隊(H部隊)が英軍がギリシャにかまけている間に,ドイツ軍は,無理してでも,クレタ島よりも,マルタ島を占領すべきであったと考えている。無理してスエズ運河まで侵攻しなくても,シチリア,マルタ,チュジニアの線で,空軍力によってイギリスの海上交通線を遮断できたと考えるからである。リビアは,放棄しても構わない。こうなると,英軍は,喜望峰まわりで補給をおこなうしかなく,相当の負担となっていたと予想する。

第6章 芳しからざる戦局   //バルカン半島と地中海//の総括

[英訳者(ビクター・ヘンリー:架空の人物)によるコメント]-----アメリカ人の平均的な見解
ルーンは,ドノバン使節がユーゴスラビアを訪問したことについて,ありそうもないことを作り上げている。シモヴィック革命は,人気のある革命であった。大部分のユーゴスラビア人は,喜んでヒトラの怒りに対するリスクを取り,その対価を支払い,合衆国および全世界からの尊敬を得た。共産国のユーゴスラビアは,アメリカと唯一友好的な関係にあるが,これは,1941年の勇敢な決起に起因する。しかし,ルーンのドノバンについての主張が真実だとしても,砲爆撃によりベオグラードを灰燼にし,国土の侵入し,人々を殺したのはドイツ軍である小さな事実を俯瞰すれば,ユーゴスラビアの破壊をルーズベルトやチャーチルのせいにするのは,通常の鈍さではない。

ルーズベルト大統領は,非公式な使節をしばしば用いたというのは,事実である。しかしながら,その重要性は,メロドラマ的な映画や書籍はもとより,いくつかの軍事史においても,課題評価されている。これらの人物は,末梢的な根気のいる仕事を行うのがつねであった。それらは,スピードと安全性確保の観点から,公式のチャネルを通したのでは行えないことであった。ハリーホプキンスはもとよりドノバン大佐を,これらの名もなき小人物と同類とみなすことは,不正確である。-----ビクター・ヘンリー

[訳者によるコメント]-----個人的見解

英訳者は,シモヴィック革命がOSS(CIAの前身)による政府転覆の秘密工作によるものであることを完全に否定している。アメリカ人の公式の立場では,米国の諜報機関がユーゴスラビアを戦争に巻き込んだことを否定せざるをえないのかもしれないが,CIAによる秘密工作を多数目撃してきた今日の我々の目からすると,米国の諜報機関による秘密工作であると考えざるをえない。

英訳者の主張は,ユーゴのセルビア系民族にとってはその通りであろう。しかしながら,ドイツ文化圏に属することを誇りとし,セルビア系の圧迫を受けていた旧ハプスブルグ家に属した民族にとっては,ドイツ参謀の主張するとおり,災厄以外のなにものでもなかった。これらの人々が,セルビア系民族の桎梏を脱するには,ソ連の崩壊を待たなければなかなかった。これらの人々にとっては,ルーズベルトやチャーチルが,スラブ系民族を扇動しさえしなければ,フィンランドのような立場になれただろうと思ったのは,
想像に難くない。

我々は,,北アフリカや地中海が重要な戦域であるかのような印象を持ちがちであるが,実際には,チャーチルが無用に引き起こした会戦であることは,疑いようがない。

以上で,第6章 芳しからざる戦局 //バルカン半島と地中海//とコメントを完了する。次回から,第7章 バルバロッサ //対ソ戦略//の翻訳とコメントを行う予定
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