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2020年06月07日17:12

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難しい仏教の話

経典に、この生をもっと疑え。といいうのがある。
非常に曖昧であったり、微妙だったりするものだ。
こう見た、しかし、勘違いだった。というのがある。
そこで、正しいのはこっちで、こっちは勘違いだった、となるが、
もし、もう一つ更に勘違いであったなら、これは、真相は藪の中だ。
今まで見聞きしてきたものが、どれだけ確かなものだろうか?
そういうことを、もっと生を疑え、という。
私は、非常に単純に、生を信じた。
肉体があるから、我があると。では肉体が無いなら、我はどうなのか?
痛みがあるから我があるのだ。同じことで、では、肉体が無いなら、我はどうなのか?
となる。肉体のない我は、経験が無い。それは、微妙だ。
それで、妄想を離れる事になる。
妄想を離れるのは大事だ。
また、四禅というのは、見方が違うだだけで、似たような境遇だ。
みな、微妙な我と宇宙、要するに、世界と自分な訳だ。
この二つは、切り離されてるが、実際はどうなのか?
そういう切り口もあるのではないか。
しかし、我と世界だけでも、大した境涯だ。
禅力だと思う。
難しい話だったが、テーマは色々だが、もっとよく考えよ。
というのが仏教だと思える。
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