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2019年11月18日22:22

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内村鑑三 vs 紫式部

内村鑑三の『後世への最大遺物』が話題になっていたので、

「源氏物語について「最大遺物」に「あのような文学は」「根こそぎに絶やしたい」と書かれているのを読んでから、「なんだ源氏の価値も分からない若造の勇ましい戯言か」としか読めなくなってしまいました。明治はともかく令和の時代には、「もののあわれ」を知って死ねれば、それで充分にも思えます。」

と返信したら、

「源氏については以前もTwitterで誰かと議論した記憶がありますが、私はどこが良いのかサッパリわかりません。家柄の良いイケメンがモテる話ですよね。」

との返信があったので、以下のように7回にわたって源氏物語の偉大さについて語ってみた(笑)。
以下、記録として。

(1)それは三部構成のうち毒の少ない第一部を偏重する学校教育に影響されたもの。家柄がよくて女に不自由せず、その美と才能が称賛され、幸運にも天皇に准じる地位に昇りつめた男が、それでも幸福を感じることができず、出家への衝動から逃れることができなかった。これが源氏の本質なのだと思います。

(2)秀才であり揺るぎない平和主義者でありヒューマニストでもあったドナルド・キーンに、日本語を学びたいと思わせ、日本文学を深く理解したいと思わせ、日本という国をよりよくしたいと思わせ、ついには国籍も変えたいとまで思わせた原点にあったのは源氏物語の英訳でした。

(3)源氏研究史で僕がとりわけ好きなのは、朝日新聞が「抑留を耐えた宇治十帖」として紹介したもの。過酷な境遇にある人の心を慰めるものが芸術であるならば、人間の心の奥にある「虚無と闇の世界」を描くのが芸術であるならば、源氏物語は疑いも無く第一級の芸術作品です。
http://asahi.com/jinmyakuki/TKY200804210166.html

(4)与謝野、川端、谷崎、円地、寂静、林望、角田光代などオリジナルな創造性を持つ作家たちに、あえて「訳」という形ででも「この作品世界を自分の言葉で現代に蘇らせたい」と思わせる魅力を持った文学作品。それが源氏物語。この中には日本文学はまだ源氏を超えられていないと思っていた人もいたかも

(5)源氏に対する称賛が一種の権威主義に過ぎないのでないかという疑念があるのはもっともだと思う。また「あさきゆめみし」のような「翻訳」を介することにともなって、一般的なイメージが歪んでしまっていることもあるかも知れない。作家による現代語訳が、「訳」の名を借りた創作であることもある。

(6)我々に比較的近い感性?で源氏に傾倒した人として藤井貞和がいる。彼は紫式部について「ある限りの人間的分裂に苦悩し、その苦悩を生涯の課題として文学しつづけた」と評し、源氏物語の中に「現代詩の、地獄のような故郷」や「情念のカオス」を見ている。(「バリケードの中の源氏物語」より)

(7)原文で3回読んでも、そのたびに新しい魅力を発見し、その奥深さに驚く。秋山虔や藤井貞和のような秀才が半世紀以上精魂を傾けて研究しても、まだ分からないことがあると言う。人間には二種類がある。それは右翼と左翼ではなく若者と老人でもない。源氏の面白さが分かる人間と分からない人間だ(笑)

https://mobile.twitter.com/akira_yanai/status/1196277935268716546

ちなみに、この論争の相手は高校時代の同級生であり、有名私立大学を出た新聞記者である。

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