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2019年11月13日23:43

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ディザスター・アーティスト


エイティーズからナインティーズにかけては結びつきの絆感覚が希薄になってるからジョンヒューズものやスタンドバイミーやロブロウ主演のものとか友情を題材にしたものが多くあったように思うけれど、どうだろうか? エイティーズもセヴンティーズもナインティーズもこのセンチューリーも統計学的に同じ数だけたぶん友情を描いたものはあろうはずだけれど、エイティーズからナインティーズにかけて、そのような作品が多かったような印象をもつ。ナインティーズ終盤からこのセンチュリーになると、おひとりさまOKの作品もどんどん出来てきたのかな、とは印象としては思う。今やおひとりさまを描いた作品、なんら奇異なく受け入れられている。おひとりさまその先駆的な作品は、かのベンスティラー作品ケーブルガイなんじゃないかな、と思う。まだ当時だからおひとりさまを推奨するというよりは、そうした当時の現状をマシューブロデリックに反映させ、そこに友情を求め割って入るジムキャリーがあったのではと思う。この怪作をディザスター・アーティストを観ながら、なんか似ているな、となる。

ぜんぜんポストトゥルースとは何かという観点でも観てないけれど、おもしろかった。ポストトゥルースがどうのこうのとかは観ながら頭にはよぎらなかった、のではあるから。

『ディザスター・アーティスト』
  レンタル屋に行くと、ヒューマンドラマのところ探してもないので検索すると、コメディの棚にある。これコメディ?となる。『エド・ウッド』のようなものとは思っていたけれど、サイコなコンアーティストが巻き込んでいくものかな、と思ってコメディとは思わなかったけれど、とりあえずレンタル。メイキングを観ると、コメディとしてのアプローチもあるようだし、見てると笑わせる演出は確かにあるのだけれど、トミー・ウィソーの存在に鬼気迫るものもあり、なによりもバディものとしての感動がラストにはあり、バディ物としてオスカーにフツーにノミネートされてもおかしくないな(だから逆に言えば普通のアメリカ型映画)となる。ウィソーをチミノと比較したらたぶんチミノに失礼なのかもしれないのだけれど、この作品で描かれる彼はマイケル・チミノと同じような熱い天才であり、その孤高な謎のものがジェームズ・フランコの演出と演技によって生まれているな、とこのアメリカの現在を映すようなバディ物にフツーに快楽する。スタッフの声も聞かずに猛進しているから、よりそのヒトの個性が表されているのだろうけれど、トミーウィソーのアップカミングの新作”Big Shark”、どうなのかな? キャメロンにもトビーフーパーにもない魅力が表されているのだろうか、とちょっと関心が向く。

エンドクレディットとメイキングでフランコの監督作品なのかと知ったのだけれど、フランコがつくる『ディザスター・アーティスト』/ウィソーの『ザ・ルーム』を虚像と現実の入れ子構造のような複雑視してまでは今は考えないけれど、そうした論考も書けないようなことはないけど、目新しいなにかは出てこないようには思う。そのうちなにか頭にひらめくのかも。
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