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2019年08月07日00:58

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小さな会話、その5

「悲しいを書けると思うから」
 つまらないマニア雑誌の編集長だった。発行部数は五千をきり、それさえ返品されているようなマイナーなマニア雑誌。世話になっている友人の紹介であるがゆえに、仕方なく原稿を書くことを引き受けたものの、最初からギャラの未払いは覚悟していた。それほど弱小の雑誌だったのだ。
 依頼されたのは、乱交好きの女の告白小説だった。乱交が好き、セックスが好き、男が好き、そんな女の一人称の小説。つまり、小説とは名ばかりで、ようするに、その女のリアルな手記と読者には思わせたいのだ。読者にしてみれば、そんな淫乱な女が実際にいるのだ、と、その夢をみたいというところなのだ。
 ところが、その通りの原稿を書いて持って行ったのに、その編集長から書き直しが命じられたのだ。正直、嫌だった。書き直してまでやりたい仕事ではなかったからだ。何しろお金にならない可能性が大きいのだ。その頃は、マニア雑誌業界はそこそこに潤っていたから、お金になる仕事は他にいくらでもあったのだ。
 しかし、その編集長は引き下がらなかった。乱交好きの女がただの淫乱のわけないし、そもそも、ただの明るい淫乱を装う女の心の奥に秘めた悲しみが書けると思うから、わざわざ貴男にその原稿を依頼しているのだ、と、強く彼は主張したのだった。そう言われて悪い気はしない。いい女なのにエッチ、いい女なのに男が大好き、そんな軽いエロ小説は本当は筆者も書きたくなかったのだ。しかし、エロ本では、そうした軽いものが求められたのだ。乱交にしか自分の居場所がなく、乱交の中にしか自分の女としての価値を見出せない女の悲しさなんて、どこの出版社もそんな原稿は求めていなかったのだ。
 忙しくないわけではなかった。しかし、無理をしてスケジュールを空けて、その編集長が好むだろう小説を書いた。彼は喜んでくれたが、しかし、原稿料は当たり前のようにもらえなかった。
 ただ、それでも、後悔はなかった。原稿料をもらうために書いているのじゃない。女の悲しみを書きたいから書いているのだ、と、そう思って満足していたからだ。
 にこやかな性ではない、悲しい性を書きたい。今もその気持ちは変わらない。しかし、今は、あの頃よりも、そうした性は求められなくなってしまった。明るく爽やかで愛と正義に溢れたエロしか求められていないのだ。SМで大切なのは思いやりと愛と安全。それが筆者には悲しいのだ。寂しいのだ。
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