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2019年06月20日15:36

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書けないが続く、その5

 書く気力がなくなって来ると、不思議なことに考える気力が満ち溢れてくる。書くつもりがないなら考える必要もないと思うのだが、そうではないのだ。書きたくないと思いはじめると同時に、あらゆることについて考えるようになるのだ。
 たとえば、どうして、人生の全てを捨ててまでエロ本屋になったのか、と、そんなことを考える。エロ本屋になったのは高校三年の時だ。つまり、エロ本屋を辞めるきっかけなど、どこにでもあったのだ。高校卒業、大学入学、大学卒業、最初のエロビデオ会社をつぶした時、性風俗店をやった時、音楽会社を作った時、音楽雑誌や、幼児教材などの仕事が軌道に乗った時、どこで辞めてもよかったのに、辞めなかった。そこまで強く思っていたエロとは何だったのか。それについて考えると、もう、時間はいくらあっても足りないのだ。
 あんなにも見たかった女の裸。あんなにも触れたかった女の肌。何度見ても毎日見ても飽きなかった女のオシッコ。何人、何百人に見せても満足しなかった自分のモノ。全てのことの意味が分からないのだ。
 何を得れば満足したのだろうか。
 そういえば、エロ本屋になりたくて必死に小説を書き、カメラの勉強をし、編集者となった。小説が書きたくてエロ本屋をやっていたのではない。そんなことは一度もなかった。
 そんなことを考えるとき、頭に浮かぶ顔がある。いくつもある。この人はどうしてエロ本屋をやっているのだろうと思った人たちの顔なのだ。有能な編集者がいた。ビジネスで成功している人がいた。女にモテる男がいた。編集者よりもモデルが似合う美人がいた。他の道で成功している人たち、他の道でも成功したと思われる人たち。そんな人たちは、どうしてエロ本など作っていたのだろうか。
 あの頃には分からなかっただろうし、そもそも、あの頃には考えもしなかった。しかし、今なら考えられるかもしれないのだ。
 そこでこんな企画はどうだろうか。
「エロ本屋でなくていいのに」
 そう言えば逆もあった。音楽業界で出会う人、特殊な趣味の人、ユニークな発想をする人、その人たちに対して、この人がエロ本を作ったら面白いだろうな、と、そう思うこともあった。そこで「もし、エロ本屋だったら、きっと」と、そんな企画はどうだろうか。
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