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2019年06月10日00:18

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料理の話じゃない、その8

 筆者のように貧乏な街で昭和を過ごした男たちの多くは、密かに、自分こそはお好み焼きの達人だと信じていたはずだ。子供の頃から駄菓子屋の片隅の鉄板でお好み焼きを作って食べていたのだ。年頃になれば、お好み焼きの専門店に女の子と行って、そこで慣れた手つきでお好みを返すのが男のステータスだったのだ。ゆえに大人になっても自分はお好み焼きの達人と信じていたようなところがあるのだ。
 ところが、そんな男の自信を砕くものがあった。それが広島焼きだった。この店は、自身では焼かせず店の人が目の前の鉄板でお好み焼きを作るのだ。キャベツが想像以上に多く、その上に焼きそばも入る。その高さは二本のヘラで返せるものではないと思われるのに、たいてい、かんたんにひっくり返す。その見事さに驚かされる。パフォーマンスは立派な調味料だ。
 目の前の鉄板で調理と言えば、ステーキにもある。しかし、ステーキは味や焼きの加減はともかく、見た目の技は素人でも真似が出来るのだ。そして、ステーキそのものが高級なので、肉が美味しいのか技が美味しいのか分からなかったりもするのである。しかし、広島焼きは違うのだ。具と粉とそばの絶妙なバランス。そして、その調和をさらに完璧とする焼きの技。素人では、とても真似が出来ない、と、そう思わされるのだ。
 これはあの人の小説に似ている。きちんとした伏線。バランスの良い起承転結。選ばれた言葉。高尚で難しい言葉を使ったりはしない。庶民的なお好み焼きと同じように、普通の言葉を使う。しかし、普通に思える言葉が、実は、深い知性によって選別されていることが読むごとに感じられるのだ。何よりも、その言葉たちのバランスが良いのだ。深いが執拗でない。
 そして、きちんと頃合いでストーリーを返してくれる。その技も読む楽しみの一つとなるのである。
 料理は科学だという人がいる。それなら、筆者はこう言いたい小説は数学である、と。そして、それを証明しているのが、あの人の小説なのだ。
 しかし、緻密なアイディアで練り込まれる小説なだけに、この作家には大きな欠点があるのだ。書くための体力が尽きてしまうのである。筆者は、生涯で、こうした作家を何人も見てきた。プロの作家ならともかく、これからプロになろうとする素人の作家には、この作業は体力的に過酷なものとなるのだ。ゆえに力尽きてしまうのである。
 さらに、このタイプの作家には、編集者がつき難いという欠点があるのだ。それは、その緻密なアイディアを楽しむ才能を編集者が持っている必要があるからなのだ。もし、それを持たない編集者がつけば、緻密さには目を向けずに、分かりやすいストーリーにばかり目が行くので、このタイプの作家は楽をし始めることになってしまうのだ。このタイプの作家は高級ステーキを仕入れるタイプではないのだ。庶民的な素材で美味しいお好み焼きを作るタイプなのだ。それが肉の美味しさ、卵の美味しさばかりを評価されると、自らの技術に頼らず、素材に頼ろうとするようになってしまうのだ。素材はお金をかけて仕入れればいいだけだからだ。
 それは何とも残念な結果なのだ。そうしてつぶれて行くこのタイプの作家を筆者は数多く見てきた。
 お好み焼きの店はどれほど儲かっても、高級ステーキの店にはして欲しくない。その技だけを磨いて欲しい。技こそが料理なのだから。技術を持つ作家は、珍しいネタ、奇抜なストーリーに拘って欲しくない。その技だけを磨いて欲しい。技こそが小説なのだから。

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