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2018年12月11日00:44

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午後二時のエロ本屋

 午後二時も筆者はエロ本屋だった。
 エロ本屋の多くは一人になることを嫌っていたように思う。ゆえにエロ本屋は寂しがり屋だと思われることがあるが違うのだ。もともと、本を書いたり作ったりしようとする人間は集団でいるよりも一人でいることが好きなのだ。ゆえに、エロ本屋になったからこそ一人になりたくなくなったということなのだ。
 筆者もそうだった。特に、午後二時に一人になるのが嫌だった。ところが、午後二時のエロ本屋は一人でいることが少なくなかった。撮影がなく、打ち合わせも終わっていれば、その後は、しばらく、一人で原稿を書いたり、他人の原稿を読んだりしなければならないのだ。たいていはどこかの喫茶店だった。自宅にいても会社にいても遊んでしまうからだ。遊んでいれば食べていけない。撮影に呼ばれるのも原稿を書くからなのだ。書かなければならないし、読まなければならないのだ。
 書ければいい。読めればいい。しかし、何の理由も障害もないのに書けないことがあったのだ。読めないことがあったのだ。午後二時の喫茶店で、ぼんやりと自己嫌悪に襲われ続けているのだ。今、まさに、多くの人がまじめに働いている時間なのに、自分は何をやっているのだろう、と、そう思うのだ。これは、撮影で皆といれば、打ち合わせで誰かと会話していれば思わないでいられるところのものなのだ。しかし、一人でいると思うのだ。自分はこんなことをするために生きて来たのか、こんな生活がいつまで続くのか、そもそも、自分は何をやっているのだ、と、そう思うのだ。
 自分がやりたかったのは出版であってエロ出版ではなかったのではないかと悩むのだ。出版の落ちこぼれなのだ、と、そう思うのだ。エロを選んだのではない。エロしか出来なかったのだ、と、そう卑下するのだ。そして、それは当たっているのである。エロでしか通用しないのを、エロが好きだったのだと言い訳けしているだけなのだ。
 自己嫌悪に死にたい気持ちになりながら、緊縛に憧れる女の手記を書こうとする。この仕事を辞めて自分には何が出来るのかと考えながら、野外露出する女の手記を書こうとする。女を監禁している男の嘘日記を作ろうとする。書けるはずがない。こんな仕事をいつまでも続けてはいけないと、そう思いながら、エロが書けるはずがないのである。
 アルバイトのその日暮らしでいいじゃないか、余暇に小説を書こう、まじめな小説を書こう、まだ自分には何か書けるはずだ、と、そう思い、次の瞬間に絶望する。いっそ死のうと考えながら、その勇気のなさに挫折する。動けない。動かない。どうにもならない。恐怖だけが重くのしかかっているのだ。
 エロ本屋といっても、当時は、エロ業界だけで仕事をしていたわけではない。普通の写植製版屋とか印刷屋とかと付き合わなければ本は出来なかった。カメラマンやデザイナーは同じエロ本屋だが、印刷屋や製本屋は違う。普通の人たちなのだ。朝、会社に行って夕方まで仕事をする人たちなのだ。つまり、夕方までに原稿を上げなければ、その人たちが困るのだ。夕方に原稿を持ち帰り、次の日に写植を打ってもらったり、印刷してもらったりしなければならないのだ。普通の人たちなのだ。女の裸と接しながら、いい加減に生きている自分が普通に働いている人たちに迷惑をかけてはいけない。その気持ちだけで、死にたい気持ちを抑えて、この仕事だけはやらなければ、と、そう思うと、ようやく、筆が進む。最初は原稿用紙だった。すぐにノートワープロになる。しかし、そうした状態の時には、すぐに筆が止まる。。
 書けないまま喫茶店を変える。一軒、二軒と喫茶店を変える。本当に、あの頃はコーヒーばかり飲んでいた。その上、悩み悔やんでばかりいたのだから、胃はボロボロに違いない。今も、その後遺症で胃が痛む。
 胃を犠牲にして、どうにか生き延びて来たのに違いない。エロがやりたいためではなく、迷惑をかけたくない、と、それだけを理由に生き延びていたのに違いない。
 午後二時。この時間に一人でいることを恐れる人間、それがエロ本屋だったのではないだろうか。
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