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2018年08月27日23:06

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残暑の歌

「秋来ても猶夕風をまつがねに夏を忘れしかげぞ立ちうき」

『六百番歌合・六百番歌合陳状』(岩波文庫・1936年)p.120

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手元に『六百番歌合・六百番歌合陳状』(峯岸義秋校訂)があったので、今の季節、残暑を詠ったものなのがあるだろうかと見てみたら、藤原定家の歌があった。
定家の歌であれば、『藤原定家全歌集』(ちくま学芸文庫)に訳があるはずなので、調べてみた。

「夏の間は、松の根方で涼を取り、しばし夏であることを忘れたのだが、秋が来ても、やはり同じ松陰は立ち去りがたく、夕風が待たれる。」
久保田淳訳『藤原定家全歌集(上)』(ちくま学芸文庫)p.177より

ちなみに、この定家の歌は「六百番歌合」の中では「秋」の「五番」の左として、寂蓮の次の歌(右)と競われて「勝」となっている。

「夏衣まだ脱ぎやらぬ夕暮は袖に待たるる荻の上風」

この「歌合」の判者(レフリー)は、「春から夏や秋から冬の衣替えならばともかく、夏から秋の衣替えの歌ではねぇ」というようなことを言って定家の「勝」としている。
当時の感覚では、そういうことだったのだろうか。

まぁ、確かに、夏服に一枚重ねる秋のはじめ頃の服装は、衣替えというほどの風情ではないかも知れないけれど。

と思ったけれど、調べたら、この判者は、定家の父親である藤原俊成だった。
俊成は、息子といえども贔屓しない公平な判者と信じられていたのか。それとも、そういうことも「込み」のうえでの勝負だったのか(笑)。

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