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2018年01月06日23:52

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点鬼簿之雑談帖(その102)―星野仙一氏の訃報

プロ野球中日ドラゴンズの投手として活躍し、現役引退後は中日・阪神・楽天各チームの監督を務めた、星野仙一氏の訃報が伝えられました。享年70。還暦ぢぢいのわたくしとは、10歳しか違わないのでありますね。なんだかもっと年上の人という印象がありましたが。

<引用開始>

星野仙一さん死去、70歳 「燃える男」「闘将」楽天で日本一達成

プロ野球中日のエースとして「燃える男」、監督就任後は「闘将」と呼ばれ、2013年に楽天を率いて球団創設9年目で初の日本一に導いた星野仙一(ほしの・せんいち)氏が4日午前5時25分に死去した。70歳。岡山県出身。近親者で密葬を行い、後日、お別れの会を開く予定。楽天によると16年7月に急性膵炎を発症したことをきっかけに膵臓がんであることが判明。昨年12月末に病状が悪化したという。

星野氏は岡山・倉敷商高から明治大を経て、1969年にドラフト1位で中日に投手として入団。82年まで中日一筋でプレーした。気迫を前面に出す投球から「燃える男」がキャッチフレーズとなり、特に巨人戦で闘志を燃やした。現役時代の通算成績は実働14年で146勝121敗34セーブ。74年には沢村賞に輝いた。

引退後は87年に中日の監督に就き、翌年にリーグ優勝。96年には中日で2度目の監督に就任し、99年にも優勝を果たした。2002年から阪神を率いて03年に18年ぶりのリーグ優勝を果たしたが、ダイエー(現ソフトバンク)との日本シリーズで敗退。その直後に健康上の理由で退任した。11年からは楽天の監督に就任し、13年にチームを初の日本一に導いた。14年に退任後は球団副会長に就いた。08年の北京五輪では野球の日本代表監督を務めた。準決勝で韓国に、3位決定戦でも米国に敗れてメダルを逃した。17年にエキスパート表彰で野球殿堂入りした。
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<引用終了>

出典Web: http://www.sanspo.com/baseball/news/20180106/gol18010608050003-n1.html

大学時代、当時の明治大学野球部監督だった故島岡吉郎氏(星野氏自身は、「自分は明治大学野球学部島岡学科出身」と、常日頃口にしていた事が知られています)の、スパルタ式指導の薫陶を受け(尤も歴代キャプテンのうち、星野氏と高田繁氏は殴られた事はなかったそうですが)、時には選手に手を出す事もあった様で。嘗ての運動部は鉄拳制裁なぞが問題になる事はなかったのでありますが、時代が変わってこうしたやり方は非難される事が多くなりましたね。

ファンも多かったか、と思いますがまたアンチも多くて、それぞれ監督を務めた球団を優勝に導いたものの、「ジジ殺しで球団のオーナーサイドに取り入って、チームの伝統なぞぶっ壊しても意に介さず、札束でエースや四番打者を他所から引っ張ってきただけ」「何かと言うと○○はワシが育てたと、実際の指導に当たったコーチの手柄を横取りした」と批判の声も少なくなかった様に思います。

しかし、膵臓がんは現在の医療技術を以てしても、発見・治療が難しい癌だとの事。先年亡くなられた元横綱の千代の富士も膵臓がんでしたし。わたくしのカミサンの叔父さんも、膵臓がんでなくなっていますし。
お酒の飲みすぎは肝臓のみならず、膵臓にも負担を強いる事になる、との事。わたくしはど下戸なので、その点は幾らかマシか、と思っていたら若いころデブだったり、血糖値が高かったりすると、膵臓がんを発症するリスクが高くなると、ある記事にあってちょっとビビった次第。
若いうちのデブは今更どうにもならないので、余り大飯を喰わぬ様、せいぜいまめに身体を動かして幾らかでもリスクを軽減しようと思いました。

嘗てはプロ野球人気の立役者として、一世を風靡した方の訃報に接し(大のプロ野球好き、ではありませんが)寂しい思いは一塩であります。謹んで故人の御冥福をお祈り申し上げたいと思います。

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