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2017年09月17日18:25

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私の仏教的哲学

四つの時期がある。
少年、結婚、働く、老いる。
趣味はあっていい。
道というのは、歩き、目的地へ向かうもの。
しかし、不幸もある。
二つ。犯罪を越えない事と忍耐を学ぶ事。

犯罪を越えないのはガードレールだ。
忍耐は、雨風をしのぐこと。

目的地へ向かうもの。
それは幸福だが、言う。
明るい家族、積み重ねた仕事の成果、
皆が育ち、弔われ後事を託す。

少年は、何でも挑戦する。
経験を大事にしよう。
しかし取り返しのつかないこともある。
だから勉学がある。
結婚したなら、共に助け合う。
我を張らないように、役割をこなすように、
子供たちに模範と、経験を伝える。
時に叱り、時に誉め。
また忍耐も必須だ。
働くのは、生活が基盤になる。
浪費を戒め、健康を心掛け、時間を払い、
長く勤める。また心を励ましもする。
長く真面目に。
老年に至れば、子供たちも大人となり、
今までの報いが返る。
善く育つなら善し、邪に育つなら邪に。
また時間もできる。
反省と共に学ぶ時間、
そして死して旅立つ時が近づく。
宗教は必然であり、これまでの生き方は理解をもたらすかも知れない。
田畑に蒔いて、草を苅り、水を与え、
そうして芽が出る。風雨や日照で育ち、ようやく実を採る。
人生もそうだ。
社会という畑に種を蒔き育て収穫する。
老年には正に収穫物がもたらされる。
この世での役割はこれで終わる。
これが幸福とその道だ。
そして、犯罪を越えぬ事と、忍耐がある。
幸福を目指しながら、修業でもある。
何かを失ったり、捨てなければならないものもある。
また拾う事もあれば、身になるものもあるかも知れない。
雨風が強ければ、道に迷いもする。
また見晴らしの良い場所に出る事もあるかも知れない。
人は、何も得てはいけないことはない。
道だ。目的地への道筋があれば、
そこへ行き着けるのだ。
この世界は勿論光り輝く世界ではない。
しかし、苦しみの果報だけを受けるだけの世界でもない。
どのようにか生きれば、そのようになる。
気をつけて道を確かにすれば、それなりの結果になるのだ。
しかし、学ばねばならないのは、
不善、邪な道と果報、場所に満ちている事だ。
見失いもする。
だから気をつけなければならない。
道を確かにしなければならない。
求めるならば。
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