円満と云う。
心に掛ける物無きところ。
風のように川のように。
私は老いに心を掛けていた。
時間を惜しんだ。
禅にも没頭した。
しかし気付くと老いに抗う心だった。
車で出かけ、帰るとき、稲穂が揺れるのを見た。
ただあるがまま。
老いにても自然に法爾であるべきだ。
稲穂は食となり消える。
しかし風に揺れるの稲穂は美しかった。
無きとても、ありとても、そのままの姿。
老いるとしても、そのままであれはま良い。
逆らう心。これが万病の本だったのだ。
けして恐ろしくはないはず。
何故なら流れる心の一つだから。
身は変わり逝く。流れ逝く。
しかし、心を棹さず、心もまた流れ逝くべきだ。
いや流れ逝くものなのだ。
稲穂を観て、これを思った。
今このときの稲穂は素晴らしい力で存在していた。
消える事もあっても、それ以上に今ある稲穂は素晴らしい。
身や心もこの如く。
流れに臆さず、流れに委ねる。
いや流れに準じるのだ。
心を老いに向けるのだ。
それが心を正す正念と言えるだろう。
それは八正道の大事だ。
私も稲穂のごとく素晴らしい力で今に在りたい。
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