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2017年09月03日21:04

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禅と稲穂

円満と云う。
心に掛ける物無きところ。
風のように川のように。
私は老いに心を掛けていた。
時間を惜しんだ。
禅にも没頭した。
しかし気付くと老いに抗う心だった。
車で出かけ、帰るとき、稲穂が揺れるのを見た。
ただあるがまま。
老いにても自然に法爾であるべきだ。
稲穂は食となり消える。
しかし風に揺れるの稲穂は美しかった。
無きとても、ありとても、そのままの姿。
老いるとしても、そのままであれはま良い。
逆らう心。これが万病の本だったのだ。
けして恐ろしくはないはず。
何故なら流れる心の一つだから。
身は変わり逝く。流れ逝く。
しかし、心を棹さず、心もまた流れ逝くべきだ。
いや流れ逝くものなのだ。
稲穂を観て、これを思った。
今このときの稲穂は素晴らしい力で存在していた。
消える事もあっても、それ以上に今ある稲穂は素晴らしい。
身や心もこの如く。
流れに臆さず、流れに委ねる。
いや流れに準じるのだ。
心を老いに向けるのだ。
それが心を正す正念と言えるだろう。
それは八正道の大事だ。
私も稲穂のごとく素晴らしい力で今に在りたい。
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