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2017年08月23日18:08

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劇団マームとジプシー「ΛΛΛかえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと―」藤田貴大 作・演出

演劇レビューです。

マームとジプシー10周年Anniversary Tourの一つとして札幌公演で上演された演目。北海道、伊達市出身の藤田貴大が26歳で岸田戯曲賞を受賞した「かえりの合図、」「待ってた食卓、」(2011)を軸に、藤田の生家である祖母の家が区画整理によってなくなった出来事をテーマに描いた「ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。」(2012)のモチーフを加え、「家族・家」をテーマに再編集した作品・・・とパンフレットには書いてある。今回、10周年ということで過去の作品を再構成した4つの演目を札幌で上演したうちの一つである。

ここで何か書いておかないと、記憶の彼方に忘れ去られてしまいそうなので、備忘録も兼ねてレビューを書く。動作と台詞の繰り返しが特徴だとされているマームとジプシーは、以前から観たいと思っていた劇団である。又吉直樹と藤田貴大の対談などNHKの番組でも取り上げられ、今、最も注目されている劇団の一つといえるだろう。しかも、、北海道伊達出身の劇作家・演出家である。楽しみにしていた。

海沿いの列車に乗っている二人の少女の語りと台詞で始まる。舞台はシンプルなものだけ。教育文化会館の大ホールの舞台にまず客は案内される。客席が舞台に作られているのだ。簡素な舞台を3方から取り囲むように客席が作られ、本来のホールの客席は使われず、幕が閉じられ見えないようになっている。(最後にその幕が開いて無人の客席が見える仕掛けがある。)

海沿いを走る列車がどこかの田舎の駅(伊達駅を思わせる)に到着し、少女たちが降り立つ。そこで、町の人々が交差していくのだが、何度も台詞やアクションが繰り返される。時間も過去が挿入され、かつてこの田舎を出て行った姉が駅から旅立った時のことなども演じられ、「この駅からどれだけの人が旅立て行ったのだろう」などと語られる。人々が交錯する駅。そして、少女たちを迎えに来た叔父さんや従妹がやってくる。舞台は角度を変えて何度か演じられる。家(食卓)もまた、親戚や家族、そして近所の他者も含めて人々が交錯する場所だ。

それはまるで記憶を再生しているような感じだ。繰り返される台詞は、映像が巻き戻されるように役者たちはくるりと回転して、演じ直される。この芝居は、ある家族の記憶に関する物語だ。そして記憶は何度も再生され、演じられる。かつて、食卓を囲んで賑やかにケンカしながら大騒ぎしつつ、過ごした時間。その家族の記憶。姉妹たちが家から出ていき、長男一人が家に残り、その家が街の区画整理で取り壊されることになる。消えてしまう家、かつての食卓。バラバラになっていく家族。父の死。それでも再生される家族の食卓の記憶。それぞれの記憶。

明らかに東北の震災を意識した作りになっている。海に飲みこまれてしまった人たち。「自分たちではどうにもならないこと」。失われる家は、震災でなくなってしまった家とも重なる。消えてしまうものと、変らないもの。家族の記憶は食卓とともにある。帰る場所としての家、食卓。それが、無くなってしまい、記憶の彼方のものになったとしても、変わらずそこにある。きっと。それぞれの心のうちに。そんな、誰にでも必要なあたたかい食卓の記憶。帰る場所の大切さをあらためて思った。それは、懐かしくせつない大切な記憶だ。現実には失われてしまったけれど、その大切なもの。それが自分自身の家族の記憶に重なったとき、なんだか涙が出てきた。

形を変えてズレつつ繰り返されながら、記憶は何度も反芻される。その家族の記憶、再生される記憶こそが、生きていく未来の力になるのかもしれないと思った。

作・演出:藤田貴大
音楽:石橋英子
衣装:suzuki takayuki
出演:石井亮介、萩原綾、尾野島慎太郎、川嶋ゆり子、斉藤章子、中島広美ほか

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