恵比寿は私の知っている昔の恵比寿の面影を、ほとんど残してはいなかった。古い友人に再会したと思ったら、その相手は友人の子供だったと、そんな気分だ。
三十年ほど前のことだろうか。恵比寿には週に一度の割合で訪れていた。それよりも、もう少し前は、恵比寿に会社を持っていたので、毎日、そこを訪れていた。駐車場のある場所。喫茶店のある場所。銀行。ゲームセンター。煤で黒くなったテーブルで食べる焼き鳥屋。おでん屋。焼肉屋。そうだ。駅前には甘味屋もあったはずだ。しかし、何もかもがなくなっていた。
仕方ないので、カーナビを頼りに車を駐車場にいれた。このあたりにはボーリング場があったはずではなかったか。そして、筆者がはじめて経験した回るテーブルで食べる中華屋もあったはずだ。
商店街はそのままに残っているのだが、その中の雰囲気には、いっさいの記憶がない。ビリヤード屋にも通っていた。スリークッションを覚えたのは、この商店街の中の店でだった。
そして、商店街を抜けたところに、親しくしていたSМクラブがあったのだ。あったはずなのだ。もちろん、あれから三十年以上が過ぎているのだから、そんなSМクラブのあるはずのないことは分かっている。しかし、あのクラブのあったマンションぐらいは覚えているはずだ。実際、そのマンションの茶色の壁の色合いまで思い出せているのだから。
恵比寿にはラブホテルがなかった。そうした駅の周辺に出来るSМクラブはマニアックで家庭的だったりした。
駅前に事務所があり、歩いて行けるところにラブホテル街があるSМクラブよりも、そうした環境にないSМクラブのほうが取材記者としてではなく、個人的に親しくなる傾向があった。便利で安くて可愛い女の子がいれば、何も筆者が必死にその店の良さを伝える必要なんかなかったからかもしれない。いや、もっと違う理由があったのかもしれない。
深夜だからだろうか。駅前にあったはずの古書店も分からなかった。ゲームセンターがなくなったことは知っていたが、マニアックな模型屋は今もあると信じていた。何を根拠に信じていたのだろうか。
駅周辺をICレコーダーを片手にうろうろとして、結果、思い出に残るもので見つけたのはスタジオぐらいで、銀行もルノアールさえなくなっていた。いっさい何も見つけられないまま、筆者は、カーナビを頼りに停めた駐車場も見失ってしまった。
恵比寿なら迷うことはない、と、過信していたのだ。それほど好きな駅だったのだ。
筆者は山手線でもっともマニアックな駅と、そこを呼んでいた。今は違う。今は違っていたことが少し寂しい。
ログインしてコメントを確認・投稿する