遅くなったが、『カルテット』第8話レビューです。
氷上のワカサギ釣りから始まる第8話。「魚類をバカにしたからですよ」などと言い合いながら、いつかのカーリングゲームのように、ワカサギ釣りに興じる4人。そして、氷上に空いた4つの穴が画面に映し出される。「カルテット・ドーナツホール」の名前のように氷上の4つの穴は、それぞれの嘘・闇・欠陥などを象徴しているように見える。それでも視聴者はすでに、このカルテットの4人の共同生活が、それぞれにとって「ちょうどいい場所」になっており、それぞれの嘘や闇を補い合う幸福な関係であることを知っている。それは、マキさんが「早く帰りましょうよ」と先に行くのを追いかける3人のじゃれ合うような氷上での転倒(何話目かでの車にペンキで字を描いていた時の3人の転倒の繰り返し)でも表現されているし、いつも言い争っていた食事シーンは、マキさんの義母(もたいまさこ)の食事前の説教を、いたずらっ子のように彼女の目を盗んで4人が食べる場面でも表現されている。カルテットの4人はもう家族や兄妹以上の関係なのだ。視聴者はすでに、この4人が一緒に楽しく暮らせることを願ってやまなくなっている。
しかし、今回は共同生活の部外者から、指導や査定が入り、共同生活の危機が迫ってくる。まずは、義母(もたいまさこ)が4人の生活が荒れてだらしないことを非難し、別府君の弟は別荘売却話を進めつつ、カルテットメンバーたちがダメ人間であることを指摘する。第8話では、4人は非難し合うことなく、お互いを思い合う。別府君が作ったそばを、代わる代わる何の違和感もなく4人が食べる場面が象徴的に演出される。洗濯も食べ物もみんな一緒の共同生活。しかし、その共同生活が維持できなくなることを感じとったすずめちゃんは、自ら働き、自立しようと試みる。そして、自分が好きな別府君のマキさんへの片想いを叶えてあげようと必死になる。
「君の好きはどこ行くの」
「私の好きは、その辺にゴロゴロしてるっていうか寝っ転がってて、ちょっとだけ頑張るときってあるでしょ?…そういう時にその人がいつもちょっといるの。そしたらちょっと頑張れる。そういう、好きだってことを忘れるくらいの好き」
「まぶしいね」
すずめちゃんの「好きだってことを忘れるくらいの好き」な想いをミッキー・カーチス爺さんに語る場面は、せつない。白い服を着て無垢なる想いを語るすずめちゃん。マキさんは、別府君とのデートで、正反対の黒い服を着る。すずめちゃんの片想いと、別府君の片想い。あるいは、家森さんの片想い。それぞれの片想いがつながっていくも、マキさんは「4人で出会ったから」と今の4人との共同生活を恋よりも大事にする。そして「いま死んでもいいくらい」だと意味ありげに語る。
家森君は、すずめちゃんへの想いを、S「好きです」、A「ありがとう」、そして、SをなかったことにするためのJ「冗談ですよ」と、自らの想いをごまかす。その<S→A→J>は別府君でも繰り返される。なかったことに出来なくても、なかったことにしながら、生きていくせつなさ。「好きです」という直線的な想いは、ドーナツの円い調和をかき乱すからだ。
マキさんが別府君に、いつものレストランでの演奏場所を見ながら「ずっとここでもいい」と言う。別府君は、誰もが「向上心を持っている」わけでも、「競争している」わけでもないし、それぞれに「ちょうどいい場所」があるはずだと言う。「ちょうどいい」は、それぞれにある。誰もが「ちょうどいい場所」を探し求めて人生を歩み続けているのかもしれない。だけど、なかなかその「ちょうどいい」がわからない。「ちょうどいい」大きさ、場所にたどり着けない。
4人で食べた蕎麦は、後半の「たこ焼き」につながっていく。マキさんは「たこ焼き」をみんなで食べようと4つ買い、家森さんは「好きな人のために」一つ買って行った。「食べること」が思いをつなぐ。それぞれがそれぞれのことを思い合う第7話にあって、衝撃の刑事の言葉が激しい雨とともに最後に宣告される。マキさんは、「誰でもない」人・・・だと。
それぞれの一方的な想いと4人の共同生活への想い。4人にとっての「ちょうどいい場所」とは、どこなのか?想いはいつでもすれ違い、幸福な時間は長くは続かない。それでも「好きだって忘れるくらい好き」になれることがあれば、人は頑張れるのかもしれない。
次回は、夫の謎からマキさん自身の謎へ。ドーナツの大きな穴は、マキさん自身にあった。さてさて、どこまで穴は深いのか?
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