mixiユーザー(id:2566286)

2016年06月01日13:27

327 view

007は二度死ぬ/ 007 私を愛したスパイ





  『007は二度死ぬ』と『007 私を愛したスパイ』を観たくなったのでレンタル。両方ともルイスギルバートが監督なのか。『007は二度死ぬ』、テンポがいい。丹波哲郎は日本語より英語の方が上手い。撮影はフレディヤングなのか。デヴィッドリーンのドクトルジバゴやアラビアのロレンスの巨匠のDPね。007シリーズではこの作品だけやってる。プリントが補正してもちゃんとしたのができていないのかどうか分からないが、フレディヤングらしい風景画を感じなかった。けど、太陽の絵は綺麗だった。日本を舞台にした、ある種のエキゾティズム。





  『007は二度死ぬ』、Qが運んだばかりの一人乗りヘリコプターをボンドは一回乗っただけで全部の装置を使いまくる。国家予算なものをこんなにズサンに使いまくるところが、たぶん、オーディエンスからしてみればボンドがワイルドに見えてしまい、カッコイイ理由を生むのかもしれない。『007 私を愛したスパイ』でも、ロータス・エスプリは運ばれたそのすぐ後に、言わずもがなに、ボロボロに使いまくられる。そういえば、ズサンな使い方、舛添さんとボンド似ているのかも。ダンディな舛添さんも見方を変えれば、きっとワイルドなのかな。
  ルイスギルバート、『007は二度死ぬ』ではフレディヤングを起用していたが、『007 私を愛したスパイ』ではラーラのテーマやアラビアのロレンスの音楽をパロって使い、モーリスジャールをジャカジャカと出す。デヴィッドリーンとゆかりがあるのだろうか。
  007だから、ボンドガールとは愛憎なりロマンスなりが表されるけれど、『007は二度死ぬ』と『007 私を愛したスパイ』が他のと違うのは、ボンドガールにホスピタリティがあるところであるけれど、そうしたところを描けるからルイスギルバートが起用されたのだろうか。








  米ソをぶつからせ新しい世界を手にしようとするところ、米ソの技術革新的な獲物を呑み込むところ、磁石を使ってワルを宙吊りにするところ、部隊が広くも閉じられた空間でドンパチするところ、大男と闘うところ、あれこれとルイスギルバートの007ふたつとも似ている。2度死ぬでは日本、私を愛したスパイでは西ドイツ、と、搾取資本主義的な意味合いで、敗戦国で新興国の両国、当時はスケープゴート化するには適していたのだろうか。おもしろければ、それでいい♬




2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年06月>
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  

最近の日記

もっと見る