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2015年09月26日01:52

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円地源氏が描く官能美

「これはあきらかに性行為の前段を裏に含んだ描写であり、幻想的な暗喩の奥に、匂いたつような官能美が滲むが、ここは著者[円地文子]ご自身の読み込みによる独自な<空蝉>の人物解釈に添った、大幅な加筆である。原典はかなりそっけないものだ。」
「人柄にからめての<なよ竹>の文章は、それ自体はたしかに原典にはあるのだが、円地源氏の小説世界に移されて前後の文章と響きあうとき、あたかも空蝉の細身の、固さとしなやかさを合わせもった裸体のことかとふと思わせる艶やかさに変貌している。」
「やはり著者ご自身の加筆である。」
「膨大な物語を三巻にまとめあげるために、『源氏』の大きな魅力のひとつでもある儀式や宴の描写を割愛してなお、そこここに加筆されたこれらの描写こそ、円地源氏のエッセンスというにふさわしい。」
「視覚と嗅覚に訴えてくる圧倒的な官能美である。」
「その頂点をきわめるのは、本書では『若紫』で描かれる光君と藤壺の宮の密通のシーンかもしれない。」

『円地文子の源氏物語 巻一』(集英社文庫・1996年)所収
氷室冴子「鑑賞」より

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集英社から「わたしの古典」という全22巻のシリーズが出ていて、そのまま文庫化されている。このシリーズは、「主に若い人が読むための口語訳」であり、「女流で試みる古典集成」であるとのことだ。
その第一〜三巻が、円地文子による源氏物語だ。今さら「若い人」のためのダイジェスト版など読むつもりもなかったのだが、古本屋で立ち読みしていたら、この本の鑑賞を氷室冴子が書いていることに気が付いた。前にも書いたとおり、僕は氷室冴子のファンだった。

小説であれエッセイであれ、氷室の文章の持ち味は軽妙洒脱なユーモアにあったと思う。ただ、この「鑑賞」には、氷室らしいユーモアが一切見られない。まるで国文学の先生のように、生真面目に円地の源氏について批評している。

円地が新潮文庫版の「全訳」の中で、源氏物語の原文には見られない大胆な「加筆」をしていることは、前に見た。
それだけでなく、原文を大きく「削除」しているダイジェスト版の方でも、逆に「加筆」しているという指摘は、この作家の執念と言うかコダワリの強さを感じさせられ面白い。

氷室によれば、キーワードは「視覚と嗅覚に訴えてくる圧倒的な官能美」ということになるだろう。

平安時代に書かれた原文にも、「視覚と嗅覚に訴えてくる」「美」は描かれている。
しかし、「圧倒的な官能」という言葉は、円地による「加筆」部分にこそ相応しい評価だろう。

昨日の日記で、「谷崎先生のご在世中」には円地が全訳に着手しなかったのは、彼女の描きたかった「源氏」が、谷崎の前では憚れるほどに情念的であったからではなかったかと考えてみた。
円地が、「ダイジェスト」の中で、「全訳」における制約から解放されて、更に情念的に「官能」を加筆したのだとすれば、その執念には驚くべきものがある。

■円地文子が描く藤壺の内心(2015年09月19日)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1946193193&owner_id=2312860
■谷崎源氏(旧訳)における削除と円地文子(2015年09月25日)
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■源氏物語に関する日記の目次
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