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2015年09月19日21:17

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円地文子が描く藤壺の内心

「 宮は大そうお苦しくて、はかばかしいものもおっしゃれない。お心の内でお思いつづけになると、前世からの宿縁に恵まれて高い位につき、この世の栄華で並ぶ人もないほどであったが、また心に秘めて、ついに満たされない思いも人には増さっていたこの身であったと、しみじみお思い知りなるのであった。
 あの若い日に、藤壺の御簾や几帳に紛れながらなにごころなく自分にまつわって来た世にも麗しい皇子……天つ空から仮に降り下って来た天童のように光り満ち、匂い満ちて清浄無垢に輝いていたあの少年は、いつか物思いのおびただしすぎる若人の姿に変って、ある時は枝を露に撓められた桜の花群のような悩ましさに頸を重らせ、ある時は精悍な隼のようにまっしぐらにねらい撃つ勁さ激しさの悲しみに怯えて、羽ぶるいながら自分を捕え、揺すぶり、二つを一つにして見知らぬ境に連れて行った、二人はたしかに一つものに変って、幻の世界にいた、でも私は一言も、あの人に言葉で許すとは言っていない。私はいつも何かを盾にしてあの人を避け、とうとう避けとおして命の終る日まで来てしまった。言わなかった私自身はあの人のうちに生きているだろう、それでも私はそれを言葉になし得なかった運命が辛い、主上こそこの満たされぬ思いの形見であられるが、主上御自身はこのことの仔細をゆめにも御存じなっていらっしゃらないのを、宮はおいたわしくお思いになり、これだけがとけがたい執念として、亡き後にもお心がかりとなりそうなお気持がなさるのであった。
 大臣は公の立場からも、どうしてこのように大切な貴い方々ばかりがうちつづいてお亡くなりになることかとお嘆きになる。」

円地文子訳『源氏物語(二)』(新潮文庫・2008年)p.383〜384

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引用は、「源氏物語」の「薄雲」のから。
自らの死期を悟った藤壺が、義理の息子であり愛人でもあった光る源氏のことを思っている場面。

円地訳を読んでいて、晩年の藤壺の「思い」に深く感じ入った。
ふと思ったのは、「原文では、ここまで踏み込んで書いていただろうか」ということ。

というわけで、岩波文庫版で該当する部分を調べてみたら、次のようになっていた。

「宮、いと苦しうて、はかばかしう物も聞こえさせ給はず、御心のうちに、思し続くるに、「高き宿世、世の栄えも、並ぶ人なく、心のうちにあかず思ふ事も人にまさりける身」と、おぼし知らる。うへのの、夢の中にも、かかる、事の心を知らせ給はぬを、さすがに、心苦しう、みたてまつり給ひて、「これのみぞ、うしろめたく結ぼほれたる事」に、おぼしおかるべき心地し給ひける。おとどは、おほやけがたざまにても、かく、やむごとなき人の限り、うち続き亡せ給うひなん事を、人知れず思し嘆く。」
岩波文庫『源氏物語(二)』p.234より

つまり、円地訳の以下の部分には、原文には相当する部分が無い。

「あの若い日に、藤壺の御簾や几帳に紛れながらなにごころなく自分にまつわって来た世にも麗しい皇子……天つ空から仮に降り下って来た天童のように光り満ち、匂い満ちて清浄無垢に輝いていたあの少年は、いつか物思いのおびただしすぎる若人の姿に変って、ある時は枝を露に撓められた桜の花群のような悩ましさに頸を重らせ、ある時は精悍な隼のようにまっしぐらにねらい撃つ勁さ激しさの悲しみに怯えて、羽ぶるいながら自分を捕え、揺すぶり、二つを一つにして見知らぬ境に連れて行った、二人はたしかに一つものに変って、幻の世界にいた、でも私は一言も、あの人に言葉で許すとは言っていない。私はいつも何かを盾にしてあの人を避け、とうとう避けとおして命の終る日まで来てしまった。言わなかった私自身はあの人のうちに生きているだろう、それでも私はそれを言葉になし得なかった運命が辛い、主上こそこの満たされぬ思いの形見であられるが、」

およそ400字ほど、円地は自らの「創作」により、藤壺の「思い」を補ったのである。
この「補足」が妥当であるかどうかは、意見の分かれるところだろう。

紫式部が書いた(と思われる)原文には、ここまで切実な「思い」は表現されていない。
なぜ書かれていないのかと言えば、そうしたことを表現することが、式部の創作意識には合わなかったのかも知れない。また、そうした表現が、式部個人というよりも、平安時代の「物語」の流儀に合わなかったということもあるかも知れない。こうした場面の心情については、細かくは書かない方が、当時の美意識には適っていたのかも知れない。書かずとも、伝わるものがあったのかも知れない。
あるいは、平安時代の女性は、現代の円地などとは感受性が異なり、円地が記したようなことは、そもそも思わなかったのかも知れない。もっと違ったことを思っていたのかも知れない。

そのように考えると、円地の補足は、まさに「蛇足」ということになる。

ただ、個人的な感想で言うならば、円地の補足は、とても参考になる。
晩年の藤壺が、光る源氏に対してこのような「思い」を抱いていたであろうという解釈は、「解釈」のひとつとしては面白いものだ。

円地は、どうして、このような補足を行ったのだろうか。
原文を忠実に訳すだけでは、源氏物語の魅力が、現代の読者には伝わらないと考えたのだろうか。
あるいは、創作者としての円地の心の中に、こうした補足を記さずにはいられない衝動のようなものがあったのだろうか。

いずれにしても、円地訳の「源氏物語」は円地文子の「源氏物語」であって、それは紫式部の「源氏物語」とは微妙にズレたものであることを感じざるを得ない。ただし、そのズレの存在は、「円地文子の源氏物語」の魅力でもある。

参考まで、この部分については原文に即した訳であると言える瀬戸内寂静の訳を引用しておく。
瀬戸内訳を読んだ人と円地訳を読んだ人とでは、藤壺に対して抱くイメージが微妙に違ってくるかも知れない。

「 藤壺の尼宮は、たいそうお苦しくて、はかばかしくはものも申し上げられません。お心のうちらお考えつづけになりますと、前世からの貴い宿縁に恵まれ、この世での栄華も並ぶ人もなかったけれど、一方、心のうちに秘めた満たされぬ思いに際限なく苦しんだことも、人にまさっていた身であったとお悟りになられるのでした。
 帝が夢の中さえこうした事情を何も御存知でいらっしゃらないのを、さすがにおいたわしくお思いになって、このことだけが気がかりで死後もいつまでも晴れることのない妄執となりそうな気持ちがなさるのでした。
 源氏の君は、公の立場からしても、こうした高貴な方々ばかりが、たてつづけにお亡くなりになろうとするのをお嘆きになります。」

瀬戸内寂静訳『源氏物語(四)』(講談社文庫)より
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