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2015年05月26日00:00

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『サンドラの週末』

サンドラの週末

 距離が大事だ…と、ベルギーの名監督は言う。
サンドラとその夫、子供たちとの距離。
それぞれの同僚たちとの距離感。
そしてカメラとサンドラの距離も…。

 発想のアイディアとなる事件は、フランスの自動車会社で従業員が結託して一人の従業員をやめさせたことがあったという。というのも仕事が遅く欠勤も多かったこの従業員のために連帯責任でボーナスの支給がなされなかったことがあったかららしい。
この映画はそれの逆を狙う。

 病気が完治したために、復職しようとしていたサンドラに突如告げられた解雇。しかし「自分で16名の従業員の過半数を説得してボーナスをあきらめさせれば、復職させる」という提案を受けて、週末に一人づつ回ってゆく。

 冒頭で子供のためにタルトを焼いている。
これがこれからサンドラに待ち受ける試練を暗喩していると思った。
<パイの大きさは決まっている>のだ。
従業員にボーナスか、自分の復職かの選択。

 カメラはずっとサンドラの姿を追い続ける。
訪ねた先で同僚たちの知らない生活の様子が浮かび上がる。
元々を言えば<世界のパイの大きさ>も決まっている。移民やアジア人に仕事を取られて厳しくなっている欧州の姿が重なる。

 サンドラは決して他の従業員を敵としてみているわけじゃない。
相手の立場も分かった上での説得は精神的にもキツいものがある。
それでなくとも病み上がり。

 やたらと水を口にするシーンが多いのは、夏というだけじゃなく精神的に追い詰められている状態を表すためだろう。
ずっと<独りぼっち>だと思っていたサンドラが理解者を増やしていくことに価値がある。
彼女や同調者が戦ったのは「長いものに巻かれろ」式への反骨精神だから。
サンドラが従業員に<究極の選択>を迫ったように自身も決断を迫られる箇所がある。
戦う前なら返答はどうだったろうかなどと邪推するのは野暮だろう。

フォト


 ダルデンヌ兄弟の映画では珍しくスター俳優(マリオン・コティヤール)が主演を務める。
常に庶民の視点に立って身近な問題を描いてきた同監督ゆえ、無名のキャスティングにこだわってきたのではないかと思うが、ほぼ出ずっぱりで難しい役どころと判断したのだろうか。
その成果はアカデミー賞ノミネートという形で表れたと思う。
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