村上春樹「女のいない男たち」をやっと読みました。
村上春樹の文章の最大の特徴であるよる比喩や寓意、メタファーの数々をちょっと書き出してみました。
世の中には大きく分けて二種類の人間がいる。ひとつは自分に何かをつけ加えるために酒を飲まなくてはならない人々であり、もうひとつは自分から何かを取り去るために酒を飲まなくてはならない人々だ。
まるで他人の記憶を蒐集管理する人のように。
おそらくそれは永遠に理解されないままに終わってしまうだろう。深い海の底に沈められた小さな堅い金庫みたいに。
彼女は何度かワイパーを素早く動かして、フロントグラスについた水滴を取った。新しくなった一対のブレードが、不服を言い立てる双子のように硬く軋んだ音を立てた。 (『ドライブ・マイ・カー』より)
結局のところ、僕らの語る言葉が僕らという人間を形成していくのだから。
そういう第一印象は、元気の良いラブラドール・リトリーバーに踏みつけられた砂の城のように、あっけなく崩壊してしまう。
コーヒースプーンを手に取って、その柄の模様を興味深そうに眺めていた。エジプト古墳の出土品を精査する博物館の学芸員みたいに。
僕は自分の中にある年輪を想像してみた。それは三日前のバームクーヘンの残りのようにしか見えなかった。
植木鉢に収まりきらない強い植物のように。
もうどこにも氷の月は見えない
身体が音を立てて縮んでいくくらい怖い
そのようにして僕らは年輪を作っていく
僕らはみんな終わりなく回り道をしてるんだよ。
夢というのは必要に応じて貸し借りできるものなんだよ、きっと (『イエスタデイ』より)
まるで賢いキツネがうっかり落とし穴に落ちるみたいに。
すべての女性には、嘘をつくための特別な独立器官のようなものが生まれつき具わっている、というのが渡会の個人的意見だった。 (『独立器官』より)
羽原と一度性交するたびに、彼女はひとつ興味深い、不思議な話を聞かせてくれた。『千夜一夜物語』の王妃シェエラザードと同じように。
おれは一人で孤島にいるわけではない、と羽原は思った。そうではなく、おれ自身が孤島なのだ。
「私の前世はやつめうなぎだったの」とあるときシェエラザードはベッドの中で言った。
それはなんとなく現実離れした光景だった。とはいえ現実は往々にして現実離れしていることを羽原は知っていた。
やつめうなぎは、とてもやつめうなぎ的なことを考えるのよ。やつめうなぎ的な主題を、やつめうなぎ的な文脈で。でもそれを私たちの言葉に置き換えることはできない。それは水中にあるためのものの考え方だから。
二人は黙ってそこに並んで横になっていた。彼女は目をしっかり開けて、天井をまっすぐ見ていた。やつめうなぎが水底から明るい水面を見つめるみたいに。(『シェエラザード』より)
人間が抱く感情のうちで、おそらく嫉妬心とプライドぐらいたちの悪いものはない。
秋がやってきて、まず猫がいなくなり、それから蛇たちが姿を見せ始めた。
蛇というのはもともと両義的な生き物なのよ。そして中でもいちばん大きくて賢い蛇は、自分が殺されることのないよう、心臓を別のところに隠しておくの。
記憶は何かと力になります。
世界中の鳥たちを信じるしかない。翼を持ち、嘴を具えたすべての鳥たちを。それまでいっときも心を空っぽにしてはならない。空白が、そこに生じる真空が、それらを引き寄せるのだ。(『木野』より)
何も言わずに電話を切った。壊れやすい美術品をそっと床に置くみたいに。
たぶんどこかの小狡い船乗りに誘われて、マルセイユだか象牙海岸だかに連れていかれたのだろう。
事実ではない本質を書くのは、月の裏側で誰かと待ち合わせをするようなものだ。
野球チームの背番号の永久欠番みたいに、僕の人生から十四歳という部分が根こそぎ持ち去られている。
水夫の濃密な暗い影が、メタファーの尖った画鋲をばらまいていく。(『女のにない男たち』より)
まぁ、こんなふうに書き出しただけでもキリがないのだ。まだまだたくさんある。
メタファーだらけの村上春樹の小説。その謎に満ちた言い回しにこそ、彼の小説の魅力があるのだろう。
村上春樹は、突然の不在や消失の通知から、濃密な謎の暗い影が主人公を取り巻き、密室や空虚な闇に閉じ込められていく物語を一貫して描き続けているのかもしれない。「メタファーでとがった画鋲をばらまきながら」。
ただ、この短編集は決してそんなにいい出来ではない。どちらかというと、これまでさんざん読んできたものの繰り返しであり、どこかで読んだような既視感がある。
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