mixiユーザー(id:3912568)

2014年09月24日18:12

250 view

社会的孤立度が高い日本

「社会的孤立度が高い日本」という論考を広井良典氏(千葉大教授)が北海道新聞に書いていた。

ヨーロッパに行くと、「見知らぬ者同士がちょっとしたことで声をかけあう」ことが日本よりもずっと多いことを痛感するのだ、と。これは僕自身もフランスに行ったとき感じていて、お店に入った時とか、ドアを開けるのが重なる時とか、身体がぶつかる時とか、さまざまなシチュエーションで声をかけあうのだ。それが日本だとほとんどない。昨今の障碍者への暴力も含め、日本では街中で不機嫌な人が多い。体がぶつかっても何も言わないことさえ多い。

本当に日常の些細な行為なのだが、「ありがとう」や「ごめんなさい」のような見知らぬ者同士のコミュニケ―ションが海外では多いのだ。

広井良典氏は「見しらぬ者同士」という点がポイントだという。日本社会の場合、知っている者同士、つまり集団の「ウチ」では極端なほど気を遣い、また同調的にふるまおうとするが、見知らぬ者あるいは集団の「ソト」の者に対しては、潜在的な敵対関係が支配するというのが一般的である、と指摘する。

東京などの都会では「こんにちは」という言葉が最も使われるのはコンビニやファストフード店という皮肉な状況が生まれており、他者との会話が少ない。世界価値観調査という国際比較では、先進国の中で「社会的孤立度」がもっとも高いのが日本であるという結果が示されているそうだ。

広井氏は、“集団が内側に向かって閉じる”傾向の強い日本社会での人と人との関係性を、いかにソトに向かって開かれたものにしていくかーそれは「都市型コミュニティー」の確立とも呼べるものだーが、もっとも根本的な課題ではないかということを論じてきた。

これは中島岳志(北大教授)もよく言う<閉鎖的ではない共同体=「ナナメの関係」>の必要性とも通じている。上司と部下、先輩と後輩、同級生といった縦横の関係の閉鎖性の強いものではなく、出入り自由な中間的な共同体をたくさん作ることだと中島岳志氏はよく言っている。一つの閉鎖的な居場所ではなく、たくさんの居場所を作ること、そんな開かれた関係こそ、日本人には必要なのかもしれない。

現在に日本社会は、「関係性の組み替え」の時代にある。日本の場合、特に戦後における農村から都市へ人口移動が急激であり、カイシャなどの“都市の中のムラ社会”が強固だったので、高度経済成長期には従来型の関係性で過ごすことができた。しかし人口減少社会を迎え、都市が一般的となり、またカイシャなどの組織が流動化し、かつ独り暮らし世帯も急増する中で、「集団を超えて個人と個人がつながる」ような関係性をいかに育てていくかが最大の課題だと広井氏は指摘してる。

強固な閉鎖性的ムラ社会ではなく、ゆるやかなつながり。ネット社会でもLINEなどで同様な閉鎖的同調性が起きており、本来多様につながるネット社会も、強迫的なつながりを強要し、息苦しささえ感じてしまう。

そういう意味で、広場とかたまり場とか喫茶店とかそんな出入り自由な公共的な居場所づくり、ゆるやかな関係性が、今求められているような気がする。
5 11

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2014年09月>
日 月 火 水 木 金 土
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930