先日、大阪に行った折り、大阪の庶民の味、きつねうどんをあるマイミクの方に連れて行ってもらい食べた。老舗の味である。道頓堀にある今井というお店だ。もともと関西のうどんは美味しいと感じていたが、きつねうどんをあんなに美味しいと思ったことはなかった。きつねの揚げの上品な甘さが汁に溶けこんでいて美味しかった。老舗の変わらぬ味というのは、変わらないでいられるだけの意味がある。それだけお客さんに支持され続けているのだ。
「孤独のグルメ」というマンガとテレビ番組が話題を呼んでいるが、「サンドウィッチは銀座で」(文春文庫)という食のエッセイを読んだ。平松洋子さんの文章はとにかくうまい。読んでいて思わずつばをゴックン。すぐにでもお店に駆け付けて食べたくなる。食べることの欲望、そして愛情、さらに美味しいものを提供し続けるお店への信頼と感謝。そんな食べることへの愛に満ちている文章なのだ。
春の山菜の苦みを味わう天ぷら、ビールの奥深さ、うなぎ、池袋の中国東北地方の料理、社員食堂からオムライス、そしてサンドウィッチ、一人てっちり鍋に山奥の熊鍋まで登場するのだからとにかく何でもアリだ。そして消えゆく昭和の大衆食堂へのオマージュや老舗の変わらぬ味など、とにかく読んでいてただただ食べたくなるのだ。
たとえば滋賀の山奥の宿に月鍋という熊料理をわざわざ食べに行って堪能する場面はこんな風だ。
熱を浴びてちりちりとフリルのように縮れた肉を勢い込んで頬張った。こっくりと深いこくがある。なのに、すきっとキレがいい。脂身なのに、鈍重さはどこを探しても見つからない。くせも臭いもない。だしのうまみをまとって甘みがさらに際立ち、脂身と赤身がたがいを引き立て合う。いのししの肉に感じる荒ぶりも、けれん味みない。豪胆ではない。粗野でも野蛮でもない。むしろ可憐。と同時に、山を包みこむおおらかさ。しっかりとした噛みごたえは、飲みこむのが惜しい。わたしの味覚は純粋な感動に打たれていた。
あるいは日本橋「たいめいけん」のオムライスの描写では…
ぽよん、ぽよん、ぷるるん、タンポポオムライスは表面張力たっぷりに揺れる。それをスプーンの先で破ると・・・・・とろっとろの半熟卵。それを無慈悲にも上下に押しひろげていくわけです。
いたいけな町娘を手ごめにする悪代官だろうか、わたしは。
プレーンオムレツが胸を露わにはだけてしまうと、いや、まちがえた、半熟卵の海が広がりきってケチャップライスをすっぽり包みこんでしまうと、見渡す限り黄色ただ一色、花畑のような夢見心地の世界があらわれた。向かいの二人を見やると、すでに自分の世界に浸りこんでいる。わたしも、いますぐ。
こんなふうに、お茶目な描写も入れながら、美味しいものを食べる悦楽を書き続けているのだ。
美味しいものを食べることの幸福と感謝。その美味しさ、技術を守り続ける伝統の味。ただただ頭が下がる思いだ。美味しいものは人を幸福にする。
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