大島渚の沖縄映画『夏の妹』(1972)がなんだか物足りなかったので、同じ沖縄の孤島で生きる人々の土俗的な映画である『神々の深き欲望』を久しぶりに見直した。大島渚がインテリが描く観念的な映画になりがちな傾向にあるのに比べ、今村昌平の映画は民衆的であり土俗的である。『豚と軍艦』、『赤い殺意』、『人間蒸発』、『にっぽん昆虫記』、『復讐するは我にあり』など、人間の赤裸々な欲望を描いた見応えのある傑作も多い。本作は、アメリカ統治下の沖縄の南大東島、波照間島などで撮影が行われた。構想6年、撮影に2年の歳月を費やした大作で、予算を使いすぎて今村プロダクションは、破綻寸前となった。それで今村昌平は次回作がなかなか撮れなくなったそうだ。
兄と妹の近親相姦の神話的な世界に自然信仰の土俗的な共同体の呪縛が支配する南の孤島に、近代資本主義が入り込み、効率主義や開発の波が押し寄せ、その相克が描かれる。日本の土着的な自然信仰と根源的な性と生。三國連太郎、嵐寛寿郎、加藤嘉、浜村純、それに大島渚組の常連の小松方正、殿山泰司。曲者揃いの役者たちばかりだ。南海の孤島のロケが圧倒的な迫力である。トカゲや蛇や野ネズミ、アリや蛾など虫たちや生き物たちが画面の至るところに登場し、その生命力が島の人間たちの自然信仰とともに描かれる。島にも、森にも、海にも、岩にも、空にも、自然のあらゆるところに神々がいる。雨乞いや島の掟や神事、神の祟りなど閉鎖的な島の共同性が描かれる。
神様に奉納する神田に突然巨岩が出現したことで、島の区長で製糖工場の工場長の竜立元(りゅう りゅうげん・加藤嘉)は、神の祟りだと信じ、太根吉(ふとり ねきち・三國連太郎)が妹のウマ(松井康子)と淫らな行為をしていることが神の怒りにふれたと考え、彼を鎖でつなぎ、穴を掘って巨岩をその穴に埋めろと命じた。まるで神話のような話だ。巨大な岩と大きな穴、そこには泥水が溜まっており、足を鎖でつながれた三國連太郎がそこで日々作業をしている。三國連太郎の息子の亀太郎(河原崎長一郎)は、島の迷信の呪縛から逃れ、東京へ行きたいと思っている。三國連太郎の父は嵐寛寿郎。神に仕える太家の長であるが、自分の娘と近親相姦をして根吉(三國連太郎)を産ませている。ケダモノのような親子、そして兄と妹。妹のウマは、竜(加藤嘉)の妾にされ、ノロという神のお告げをする巫女・シャーマンの役目をしている。さらに亀太郎(河原崎長一郎)の妹に、知的障害のある妹トリ子(沖山秀子)がいて、多くの島の男たちの性的存在になっている。
そんな島に、サトウキビの製糖工場の測量技師・刈谷(北村和夫)が水源調査のために東京からやってきた。ギシさんと呼ばれる北村和夫は神田に使われている水の水源調査に乗り出すが、「神の棲む森(聖なる森)」に入ってはいけないと、島民たちの妨害工作にあい、作業は進まない。迷信だと言っていた刈谷の助手として働く亀太郎も、木を折ろうとする刈谷に協力する姿勢を見せつつ、折らせないようにするのが面白い。自然信仰の島の大きな祭りにバカバカしいから参加しないと言っていた若者たちも、結局は参加する。島の信仰心をなかなか捨てられない若者たち。島の区長・竜(加藤嘉)の命令で、ウマが夜這いに刈谷の寝床に行くが、刈谷は拒否して野宿をする。今度は嵐寛寿郎がトリ子に夜這いをさせ、その策略に嵌まって、刈谷はトリ子を抱く。トリ子の純粋さに惹かれていった刈谷は、次第に島の土俗性に染まって豹変していく。東京から来た男から、自然とともに暮らす島の生活に馴染んでいく。そしてトリ子に子供を身籠もらせるのだった。
しかし刈谷に会社から帰京命令があり、トリ子に必ず戻って来ると約束して、刈谷は渋々島を去る。東京の会社が島を観光開発しようと言いだし、太家一帯は飛行場の用地として買収されることになった。しかし、巨石を埋めるんだと立ち退きに応じない根吉(三國連太郎)。豊年祭りの夜、竜(加藤嘉)はウマを抱いて腹上死したが、竜の妻・ウナリ(原泉)は嫉妬と恨みで家に火をつけ、根吉が夫を殺したと村人たちに告げる。竜から解放されたウマを取り戻した根吉は、愛する妹ウマとともに、新天地を求めて西にある無人島へと舟で向かう。自分たちで新たな神話を作ろうとする兄と妹。しかし、竜を殺した島の裏切り者として追いかけてきた島民たちに根吉は殺されてしまう。島民たちがみんなお面を被り、根吉を殴り殺す。そしてウマは赤い帆に縛り付けられ、海に見殺しにされる。
5年後、観光開発が進んだ島に妻(扇千景)と義母を連れてやってきた刈谷。観光列車に乗った刈谷は、刈谷を待ち焦がれたトリ子が化身となった岩・トリ子岩を眺める。そして海を漂う赤い帆の舟を見たという島民たちの伝説が語られる。一方、列車の運転手をしている亀太郎はトリ子の幻影を見るのだった。
呪術的な自然信仰の閉鎖的な共同性の怖さ、お面を被って異端者を排除する暴力。一方、効率主義優先の近代は、神話の森を破壊し、自然信仰も文化もすべて壊して金に換えてしまう。観念的な図式もあるが、なによりも南海の島の自然そのもの、そして時代に翻弄される人間たちの姿が見応えのあるものになっている。
この映画の知的障害のある性的存在の女、沖山秀子は、後に作られた『祭りの準備』の桂木梨江と重なって見えた。
1968年製作/175分/日本
原題または英題:Kuragejima-Legends from a Southern Ialand
配給:日活
監督:今村昌平
脚本:今村昌平、長谷部慶治
企画:今村プロダクション
製作:山野井正則
撮影:栃沢正夫
美術:大村武
音楽:黛敏郎
録音:紅谷愃一
照明:岩木保夫
編集:丹治睦夫
キャスト:三國連太郎、河原崎長一郎、北村和夫、沖山秀子、嵐寛寿郎、松井康子、加藤嘉、原泉、浜村純、小松方正、殿山泰司、中村たつ、水島晋、徳川清、石津康彦、細川ちか子、扇千景
☆☆☆☆4
写真引用

1968日活株式会社
ログインしてコメントを確認・投稿する