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2025年09月22日13:35

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「欲望のあいまいな対象」ルイス・ブニュエル〜出来ないセックスと暴力とテロ〜

本作はルイス・ブニュエルの遺作である。ルイス・ブニュエルという監督はスペイン出身で、フランスでシュルレアリストのサルバドール・ダリと共同で短編『アンダルシアの犬』(1928)を作たところから始まり、『黄金時代』(1930)はスキャンダラスな作品で上映禁止となり、スペインに戻ってドキュメンタリー映画『糧なき土地』(1933)を制作、スペイン内戦が始まるとアメリカへ渡り、その後メキシコへ移り、コメディ映画『のんき大将』(1949)、社会主義レアリズム映画『忘れられた人々』(1950)、冒険映画や文芸映画、メロドラマやミュージカルなど多種多様な映画を撮った。なかでも不条理映画『皆殺しの天使』(1962)は映画史に残る傑作である。1961年にスペインに招かれて『ビリディアナ』(1961)を撮ってカンヌ映画祭でパルムドールを獲得。乞食たちが最後の晩餐のパロディーを行うシーンがスキャンダルを巻き起こす。1963年以降はフランスに招かれジャンヌ・モロー主演で『小間使いの日記』(1964)、カトリーヌ・ドヌーヴ主演で『昼顔』(1967)、『哀しみのトリスターナ』(1970)などフェティシズムやエロティシズムに溢れた官能的な映画を撮る。そして『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(1972)、『自由の幻想』(1974)、『銀河』(1969)など常に挑発的で滑稽で皮肉に満ちた物議を醸す映画を作り続けてきた。

これだけ多様で多彩な映画監督もいない。シュルレアリスムからドキュメンタリー的なリアリズム、耽美的な恋愛映画からキリスト教に対して物議を醸す挑発的な映画、さらに不条理な笑いやコメディ、ギャグ、上流階級への皮肉など、いつも企みに満ちた刺激的な映画を作ってきた監督である。そして遺作もまた驚くような企みがあった。一人の女性を二人の女優が演じているのだ。最初、何も知らずに見ていたら、同じヒロインが途中から違う感じの女優になっていて、思わず一時停止してキャストを確認した。映画館で情報を何も知らずに観ていたら、さぞかし混乱しただろう。2人の女優が同じコンチータというヒロインを演じているのだ。とてもよく似ているわけでもない。目の大きさが違うし、入れ替わると違和感があるのだ。どちらかが幻想とかイメージとか幽霊とかでもなく、一人の女性の二面性という意味合いで、理解できない謎の女として描かれているのだ。フェルナンド・レイはコンチータに夢中になり、とことん振り回されるのだ。そしていくらたってもコンチータとセックスが出来ない。『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』同様に、この映画でも欲望は宙吊りにされる。性的欲望が実現できないまま、コンチータにじらされ、求愛されたかと思うと拒否され、若い男を連れ込み裏切られ、「あれは演技だ」と言われ、フェルナンド・レイはとことん混乱させられるのだ。

たとえば彼の田舎の別荘に愛人としてやって来た最初の夜、キスして愛を確かめ合って、ふとコンチータ(アンヘラ・モリーナ)が寝室の亡くなった元妻の写真を見て、「この寝室ではイヤ」と言いだし別の部屋の寝室に移動する。そしていよいよって時になって洗面所に入ると、出てきたのは別の女優(キャロル・ブーケ)になっている。そして紐で編み込まれた簡単に脱がせられない下着を履いてベッドに入るのだ。フェルナンド・レイは「なんだこれは?」と言って明かりをつけ、悪戦苦闘しても下着を脱がすことが出来ない。性に執着する男、「寝たら愛してくれなくなるわ」と不安に駆られる女が滑稽に描かれる。二人の女優は「好意的な女」と「冷たい拒否的な女」として単純に役割が決まっているわけでもなく、ただいつの間にか入れ替わっているのだ。どちらかというと愛に貪欲で情熱的な女がアンヘラ・モリーナで、クールで拒否的な役割がキャロル・ブーケというニュアンスはあるが・・・。また、最後の別れの喧嘩のシーンでも、家の外ではキャロル・ブーケで、家の中に入るとアンヘラ・モリーナといった感じに、連続したシーンで巧みに入れ替わっている。観客は一瞬戸惑い、混乱し、そういう役柄として受け入れていくしかない。ラストシーンもよく見ると、キャロル・ブーケからアンヘラ・モリーナにラストカットは入れ替わっている。つまりコンチータという女性が、フェルナンド・レイ演じるマチューという男の「欲望のあいまいな対象」になっていくのだ。

物語はテロ事件が頻発するセビリヤの町からパリ行きの列車に乗り込んだマチュー(フェルナンド・レイ)が、「こんな別れ方ひどいわ」と彼を追いかけてきた顔に傷を負った女・コンチータ(キャロル・ブーケ)に、ホームで列車の上からバケツで水を浴びせかけるシーンが最初にある。その異様な行為に驚いた同じコンパートメント席の乗客たちに、マチューがコンチータという女がいかに「神も許さない最低の女」か、水をかけた行為の経緯を語り始めるのだ。そしてマチューとコンチータとの出会いからの奇妙な愛の物語が描かれていく。

映画は最初から最後までテロが頻発して描かれている。多くの舞台はセビリアだが、ラストはパリで、コンチータがマチューを冷たく拒絶して歩いて行く後で爆発が起きる。あのラストはなんだろう。マチュー演じる働かなくてもいいような上流階級と、コンチータ演じる金に困る移民との「格差」「違い」はハッキリと描かれている。殊更にそのことを批判的に描いているわけではないが、上流階級の男が召使であるコンチータを見初め、簡単に手に入ると持っていた女が突然姿を消す。コンチータはマチューに金で買われるような扱いを強く拒否している。そしてやっと愛を受け入れたと思ったら性を拒否し、若い男と一緒に戯れるさまを見せつける屈辱まで味わう。観光客の前で裸で踊る場面もあり、男と女の権力関係もまた戯画的に描かれている。

もう一つ不明なのがズタ袋だ。最初にズタ袋を担いだ男が登場し、別荘に行くと決めた場面でもそのズタ袋を担ぐ男は現れ、川沿いでコンチータがカメラを撮る場面ではマチューにそのズタ袋を背負わせている。店で「袋をお忘れで」と言われたりもするし、パリ駅でもズタ袋の山が荷物として運ばれ、最後に店の中でズタ袋から白い寝間着や部屋着、血のついた服が出される。その服の破れた刺繍を女が繕っているのを、マチューとコンチータがウィンドウ越しに眺める。マチューは何やら呟いているのだが、声は聞こえない。そしてコンチータは、冷たい表情でいなくなり、マチューが腕を組もうとするのを拒否するのだ。ズタ袋にどんな暗喩が込められているのか分からない。ズタ袋から出てきた血のついた女性の服は、テロや男性の暴力と関係があるのかもしれない。コンチータがマチューに殴られて鼻から血を流し服も血で汚れていた。血がついたクッションをマチューは召使に「燃やしていい」と言う。そんな暴力で汚されたモノたちがズタ袋に入っているのか。途中、マチューの仕事場でネズミ獲りで捕らえられたネズミや、高級レストランの飲み物に入っていたハエも唐突に挿入される。上流階級の世界にも混入するネズミやハエと同じように、ズタ袋は女性たちの汚されたものたちの象徴なのかもしれない。

欲望の対象となる「女性のあいまいさ」に振り回される男の滑稽さとともに、権力の力関係、社会の「格差」がテロを誘発する現実でもある。それを生真面目に描くのではなく、観客を煙に巻き、驚かせ、滑稽でふざけたやり方で企みを込めて描くのがルイス・ブニュエルなのである。最後まで、奇妙で面白い映画を作り続けた奇才である。


1977年製作/104分/G/フランス・スペイン合作
原題または英題:Cet obscur objet du desir
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム

監督:ルイス・ブニュエル
製作:セルジュ・シルベルマン
原作:ピエール・ルイス
脚本:ルイス・ブニュエル、ジャン=クロード・カリエール
撮影:エドモン・リシャール
美術:ピエール・ギュフロワ
編集:エレーヌ・プレミアニコフ
音楽:ワーグナー
キャスト:フェルナンド・レイ、キャロル・ブーケ、アンヘラ・モリーナ、ジュリアン・ベルトー、アンドレ・ベベール、ミレナ・ブコティッチ、ピエラル、ダビッド・ローシャ、クロード・ジェジェール、ミュニ、ベルナール・ミュッソン、アウグスタ・カリエール
☆☆☆☆☆5
写真引用(C)1977 STUDIOCANAL FILMS Ltd
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