同じ年に公開された『箱の中の羊』(2026)がやや観念的な消化不良の作品だったのに比べ、本作の方が是枝監督の良質な部分が生かされているだろうと予想はしていた。漫画の原作があり、アニメ化もされてそれなりに評価もされているにもかかわらず、さらに実写化をする難しさはあったことだろう。私は原作も未読であり、アニメも未見なので比較はできないが、シンプルに少女たちの姿を美しい自然の風景とともに見つめた本作は、とても見やすく魂のこもった映画だった。
秋田県でロケされた本作は、四季の自然と少女たちの成長が丁寧に描かれ、原作にはないらしい白鳥が効果的に描かれていた。小学校4年生の藤野は、学校新聞に4コマ漫画を連載し、クラスメイトや先生(宮藤官九郎)からも称賛されていた。しかしある日、学校新聞に掲載された不登校の同級生・京本の漫画を見て、その圧倒的な画力に打ちのめされる。この映画は、一人では成し得なかったことが、他者という存在を鏡として、変化し、成長するという物語である。京本に負けないくらい絵が上手くなりたいという一心で努力する藤野だったが、その差は埋まらず、美術学校に行っても就職なんてないよという周りの意見もあり、4コマ漫画をある時期からやめてしまう。そんな藤野をまた漫画の道へと戻させたのは京本だった。卒業証書を京本に届けに行った日、藤野は京本から「ずっと藤野先生のファンだった」と言われ、京本の半纏の背中にサインする。その京本に認められていた喜びを噛みしめて、雨の中で走る藤野の横移動ショットが美しい。水たまりを踏み越え、田んぼの中を走る嬉しさに溢れた藤野の姿をカメラはずっと追い続ける。坂東祐大の音楽とともに、ミュージックビデオのような躍動感に満ちた印象的なシーンだ。
藤野が画力を上げようと励む姿、藤野と京本が同じ部屋で漫画を描き続ける姿は、徹底的にバックショットにこだわって描いている。おそらく原作漫画でも同じ構図が使われているのだろう。京本は半纏の背中の藤本のサインを見て、そして一緒の部屋で藤本が描く背中を見続けた。京本は背景を専門に描いており、いつも藤本の漫画の背景には京本がいた。しかし、そのことに藤本は気づかない。「もっとうまくなりたい」という京本の欲望は、藤本の背中を見続ける場所から別の場所へと飛び立とうとする。自分の足で白鳥のように飛び立つこと。連載が決まったにも関わらず、京本は美術の学校に行くことを藤野に告げる。藤野は、京本が描いていたのは「どうせ背景だけだし・・・」と言って、二人は別々の道を進む。
都会でプロのスタッフたちと事務所で描く藤野の姿は、秋田の部屋で二人で描いていた姿とまったく別のものになっていた。連載のアニメ化が決まり、かつての夢が叶って一流のプロの漫画家になった藤野に、出版社の編集者(菅田将暉)は、「寂しくないですか」と聞く。そんな時、京本が通う美術学校である事件が起きる・・・。
藤野の背中を見続けた京本、そして藤野が背中(過去)を振り返った時、京本はいなくなってしまっていた。自分を支えていた背景、そして自分の背中を見られ続けていた視線に、藤野は後から気づく。失った後から。その喪失感、自分の片割れを奪われてしまったような喪失感がせつなく愛おしい。かつて誰かの背中を追いかけたように、ある時、刺激を受けて、みんな必死になって走り出す。しかし、いつしかそんなことを忘れてしまう。そして誰かが自分の背中を見ていたことすら気づかない。人は他者を鏡のように反射させて、自分を変えてゆく。自分だけではしょせん何もできないし、何も変わらない。紙にペンを走らせる音、そして真っ白い紙にペンで線を描くときの戸惑いや勇気、思いきりの良いペンの動きに、心が揺さぶられた。
出口夏希、蒔田彩珠、子役の七瀬ふうり、岡田六花。彼女たちが輝いていた。そして大人たちは最低限しか出てこない。京本の親すら一度も登場しない。編集者の菅田将暉はきわめて優しい大人だし、先生の宮藤官九郎も理解のある大人である。そんな無理解で暴力的な大人が一切登場しない中で、理不尽な突発的な事件の犯人だけが登場する。余計な大人や社会の現実を描かず、小さく狭い世界だけをしっかり描いていたのが良かったのだろう。
2026年製作/99分/G/日本
配給:K2 Pictures
監督・脚本・編集:是枝裕和
原作:藤本タツキ
企画・プロデューサー:小出大樹
撮影:上野千蔵
照明:西田まさちお
録音:冨田和彦
美術:小島伸介
衣装:伊藤佐智子
音楽:坂東祐大
シャークキック・ギター:米津玄師
劇中曲Vocal:三浦透子
VFXスーパーバイザー:上田倫人
ロトスコープアニメーション監督:久野遥子
キャスト:出口夏希、蒔田彩珠、七瀬ふうり、岡田六花、野呂佳代、池田良、佐々木みゆ、山田真歩、宮藤官九郎、菅田将暉
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写真引用

藤本タツキ/集英社

2026 K2 Pictures・集英社
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