mixiユーザー(id:3912568)

2026年03月19日17:29

59 view

「不貞の女」クロード・シャブロル〜言葉にしないで秘密を共有する二人〜

『クロード・シャブロル傑作選』の劇場公開。『肉屋』(1970)、『女鹿』(1968)に続いて観た3作目は『不貞の女』(1969)。日本未公開作品だ。この作品も素晴らしい。クロード・シャブロルという監督は、アルフレッド・ヒッチコック的な犯罪サスペンスをベースにはしているのだが、ヒッチコックとは明らかに違う人間そのものの不穏さを描いている。人間というものの分からなさや曖昧さ、行動を単純に説明できない不確かさ、不安定さを描いているのだ。そこが面白さだ。

おぉ、ここで終わるのか〜と宙吊り状態のまま、事件の結末を曖昧にしたまま映画は終わる。今の時代だったら、ネットで苦情が寄せられるだろう。森が広がる庭の美しい柔らかな陽射しの中で、美しい母エレーヌ(ステファーヌ・オードラン)と美少年の息子ミシェルが佇み、やって来た刑事たちに話を聞いている夫のシャルル(ミシェル・ブーケ)を離れて見守っている。刑事がシャルルに何を言ったのか明らかにしない。犯人が分かってシャルルを捕まえに来たのかもしれない。観客が想像するだけだ。エレーヌとシャルルが何をしのかは、映画の中でしっかり見せているし、事件の謎は特にない。夫婦と妻の愛人をめぐる単純な事件た。ただ刑事がどこまで事件のことを解明し、犯人を捕まえるところまで分かったのか、その結末を映画は示さない。つまりこの映画は、事件が起きて犯人が捕まって解決するというサスペンス物語を目的としていない。あくまでも事件を起こした男と、起こすきっかけを作った女の心理劇なのだ。

パリ郊外のヴェルサイユで立派な庭がある邸宅に暮らしている幸せそうな家族の描写から始まる。夫の母が遊びに来ていて、昔の写真を庭のテーブルで見たりしながら、美しい妻エレーヌ(ステファーヌ・オードラン)と夫のシャルル(ミシェル・ブーケ)、一人息子のミシェルがいる。母が帰るというのをシャルルと息子のミシェルが送っていく。先に家に入ったエレーヌだったが、母の忘れ物の眼鏡を取りに来たシャルルが家の中に入ると、誰かに電話をかけていたエレーヌが慌てて振り返る。その振り返りのショットですべてが明らかになる。エレーヌは間違い電話を装うが、明らかに不自然な仕草であり、幸福に見えるこの家族の不穏さをまず見せる。シャルルは妻に「自分のことを愛しているか?」と、子供がいる食卓で聞き、明らかに妻の浮気を疑っている。見つめ合うシャルルとエレーヌ。前半は妻の浮気を疑う夫がずっと描かれていく。妻が足の爪の手入れに余念がない横で、夫はベッドに寝転がり本を読んでいる。そんな夫婦の寝室のショットで、夜の二人の関係が冷え切ったものになっていることを示している。面白いのは保険会社の重役であるシャルルの秘書の女の子が、やたらと短いスカートで男に媚びるように戯画的に振る舞うのだ。シャブロルの映画は、しばしば滑稽なほどの過剰さや悪ふざけを演じる人物が脇役として出てくる。本作では、男に色目を使う秘書の女の子が過剰な脇役として登場する。その秘書は同僚のピエールに迫り、ベッドに引きずり込んだという話がされる。そんな秘書のエピソードが、シャルルにますます妻の浮気の疑念を深めさせるのだ。そして、探偵を雇ってパリに出てきたときの妻の行動を尾行させるのだった。そしてあっさり妻の浮気が明らかになり、相手の男も分かる。シャルルは、その男ペガラ(モーリス・ロネ)の家を訪ね、会いに行くのだ。

最初は妻の行動に理解のある夫を演じていたが、妻が共にしたであろうベッドを見て、そこに自分が結婚3年目に妻にプレゼントした特徴のある大きな形のライターを見つけ、シャルルは気分が悪くなる。『肉屋』と同じように、またしてもライターなのだ。ちょっと休みましょうと心配するペガラに、シャルルは発作的にそばにあった像で殴り殺してしまう。本当にいきなりのアクションであり、彼自身も動転しているような感じ。彼が何をしに妻の愛人に会いに来たのか?会ってどうするつもりだったのか?よく分からない。ただ会わずにはいられなかったのかもしれない。だから計画的な殺人ではない。自分がプレゼントしたライターを見つけなかったら、何事もなかったのかもしれない。この映画の面白いのは、その後のシャルルの冷静な行動を丁寧に描いているところだ。床に流れた血を拭き取り、凶器を洗って元の位置に戻し、グラスや彼が触ったものの指紋を拭き取り、死体をシーツでくるみ、車に運び出すまでを長々と丁寧に描いているのだ。発作的な殺人と冷静な死体処理。そのギャップ。人間の不確かなところだ。白昼にシーツにくるまった死体を車のトランクに乗せ、さらにその後、シャルルは交通事故を起こすのだ。車をぶつけた運転手役に、『女鹿』にも出ていた道化役のドミニク・サルディが出てきて騒ぎ出す。『女鹿』のもう一人の道化役アンリ・アタルもカフェでシャルルをからかう役で出演している。事故現場に警官もやって来て、追突で壊れたトランクを開けようとさえするコメディ要素が、死体を運ぶサスペンスの中で挿入される。そして沼に死体を沈め、家に戻って家族と過ごすシャルル。

その後、刑事が行方不明になったベガラの捜索のため、彼の手帳に住所と名前があったエレーヌに事情を聞きに来る。ベガラに何かが起きたことを知り、後半は妻のエレーヌが夫を疑い始めるのだ。刑事の前でも、夫はベガラという男を知らないと言うのだが、あるときエレーヌは夫のスーツから探偵からもらったベガラの写真を見つける。刑事が何度も訪ねてくる中で、エレーヌは夫がベガラを殺したのだという確信を持つ。秘密を共有する二人。エレーヌにとってベガラは単なる浮気相手でしかなかったし、彼女はそういう男遊びを繰り返していた。そして一方で、夫も息子も愛していたし、家庭を壊したくないと大事に思っていた。だからエレーヌは夫の秘密を守ろうとし、証拠の写真も焼いた。シャルルも妻の浮気を許し、秘密を守り続けようとしていた。事件の秘密を共有して、皮肉なことに二人の愛が深まったのだ。再び二人は見つめ合い、「深く激しく愛している」とシャルルはエレーヌに言うのだ。そして、やって来た刑事のところに行くのだった。

どこにでもある妻の浮気と夫の嫉妬、そして殺人というベタな話だ。取り立てて面白くなるような話ではない。それなのに、何がこうまで面白いのか。夫が妻への疑いを深めている中で、妻の浮気シーンを描くようなことはしない。前半は夫の疑いの描写を中心に描き、妻が何をしているかは観客も知らされない。そして探偵の報告とともにやっと知ることになる。エレーヌがなぜ浮気をするのか?、何に不満を持っているのかとかも描かれない。あくまでも家庭を大事にする妻であり、子供に優しい母である。夫は妻を気遣い、妻も夫を気遣っている。表面的には幸福に見える二人が、次第に少しずつ疑いを深め、溝を作り、犯罪後に刑事が訪ねて来るようになると、エレーヌがヒステリックに子供にあたる場面も描かれる。子供がやっていた足りない消えたパズルと、消えた男。しかし、夫が自分の浮気相手の男を殺したことで、妻は夫の自分への愛情を確認し、夫婦の関係が修復されるというのも皮肉な話だ。

ブルジョワ家庭であるという設定も大きな要素だ。地位もあり金もあり、恵まれた邸宅と愛する子供の存在は大きい。家庭を壊さないことが二人には大事なのだ。刑事が真相を調べようとしても、きっと二人は協力して秘密を守るのだろう。成瀬巳喜男の『女の中にいる他人』の新珠三千代を思い出す。夫の犯罪の秘密を抱えたまま、夫の自首を阻止し、家族と子どもたちの平和な家庭を守り続ける女の物語だった。平和な家族の日常を守ることが、犯罪の真実よりも大事に思える人間の狡さや欺瞞姓。そんな面も含めて人間なのだ。二人は決して本当のことを語り合わない。言い合わないで、お互いの秘密を守り続けようとするのだろう。


1969年製作/98分/フランス・イタリア合作
原題または英題:La femme infidèle
配給:コピアポア・フィルム

監督・脚本:クロード・シャブロル
製作:アンドレ・ジェノベ
撮影:ジャン・ラビエ
編集:ジャック・ゲヤール
音楽:ピエール・ジャンセン
キャスト:ステファーヌ・オードラン、ミシェル・ブーケ、ミシェル・デュショーソワ、モーリス・ロネ、ルイズ・シュバリエ、セルジュ・ベント、ドミニク・ザルディ、アンリ・アタル
☆☆☆☆☆5
写真引用(C)Les films La Boëtie

3 7

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年03月>
日 月 火 水 木 金 土
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031