『クロード・シャブロル傑作選』の劇場公開。『肉屋』に続いて観たのが『女鹿』。クロード・シャブロルの映画は大きな事件が次々と起こるわけではなく、どちらかというと単調でシンプルな話なのだけれど、なぜ不穏でこんんなに面白いのだろう。『肉屋』(1970)にしても主な登場人物は2人だけだし、この『女鹿』(1968)も主に男女3人の三角関係の話である。登場人物が複雑に絡まるわけでもなく、ややこしい展開や小難しい考察を要するような不可解な出来事が起きるわけでもない。サスペンス的な不穏な描写はさり気なくある。ただ、その後何も起きない中でどちらかというと淡々と物語が進行していくのだ。観客は、どうなるんだろう?何が起きるんだろう?とサスペンスの興味を持ちつつも、微妙な関係のバランスの中で何も起きないことを見守り続けることになる。
<ネタバレあります。ご注意ください。>
本作でもサン=トロペの別荘にやって来たとき、アフリカの奇妙な仮面や飾り、そして毒付きのナイフをホワイ(ジャクリーヌ・ササール)がさり気なく手に取ってみる場面があるくらいで、道化師のような騒がしい二人の男たちが、奇妙な楽器で音を鳴らして騒ぐ場面の奇天烈さの方に注意が行く。なんなんだ?この奇妙な男たちは・・・?フレデリック(ステファーヌ・オードラン)とどういう関係なのか?こういう騒がしいヘンな男たちは、『気のいい女たち』(1960)でも出てきたので、クロード・シャブロルはこういった悪ふざけや道化のような騒ぎが好きなのだろう。「なんの動物の鳴き真似だと思う?」と言って、次々にいろんな動物の鳴き真似を二人で演じて見せる場面がある。フレデリックとポールがパリへ行ってしまい、一人残されたホワイに二人がふざけて構う。彼らの役割になんの意味があるのか、よく分からない。たぶん女性にしか興味を持てなかったフレデリックには、二人の男たちは暇つぶしの遊び相手だったのだろう。悪い人たちではないし。男たちは明らかにフレデリックに好意を持っている。金持ちだし、一緒に住まわせてくれるなら、なんの問題も無いと言うことだろう。
「何を考えているのかよく分からない」という感じの人たちがシャブロルの映画にはよく登場する。簡単に行動の意味が説明できないのだ。フレデリック(ステファーヌ・オードラン)がセーヌの橋の上で女鹿の絵を路上に描いているホワイ(ジャクリーヌ・ササール)という若い女に興味を持ち、家に連れてくる。家まで付いてきたホワイに「コーヒーでも飲んでいく?」と声をかけたフレデリック。ホワイが「お風呂ある?」と聞き、「お風呂とコーヒー」と言って部屋に上がるのだ。風呂にもちゃんと入れないような生活をしていた女性。そして、風呂に入っているホワイの脚などを見ながら、フレデリックはコーヒーを入れて「お砂糖は?」と聞く。「1個半」とホワイが言うが、面倒になって砂糖を2つ入れたコーヒーを持って行くと、ホワイは「ヒドい。二つ入れたでしょ」とイヤな顔をして「コーヒーはもういらない」と我が儘なことを言うのだ。このへんの奇妙なやり取りが面白い。フレデリックは明らかに女性に興味があることを映画は仄めかし、性的関係に及ぶことが示唆され、その後二人は冬のサン=トロペの別荘にやって来る。そして、そこには道化師のような騒がしい男2人がいたのだ。
その後の展開は、この家のパーティーに招待されてやって来たポール(ジャン=ルイ・トランティニャン)という建築家が、若い美しい女ホワイに興味を持ち、ホワイもまたポールが気になって、パーティー後に二人は夜の散歩をする。それを面白がってフレデリックは、二人の男たちに尾行させる。ホワイは自分は処女だとフレデリックに語っていて、その夜のホワイの行動に関心を持ったのだろう。ホワイは二人の尾行に気づき、フレデリックの指図だろうと知って、わざとポールとキスをし、彼の家へ泊まるのだ。翌日、今度はフレデリックがポールを誘い、ホワイトの待ち合わせをわざとすっぽかさせ、二人は恋人関係になっていく。女同士の嫉妬?張り合い?ポールにデートをすっぽかされて、涙を流すホワイ。あろうことか、自分に関心を持っていたはずのフレデリックが、ポールを自分から奪っていったのだ。
フレデリックはポールとパリに旅立ち、戻ってきてからポールとの相思相愛の関係を告白し、ホワイに「怒っていない?」と聞く。ホワイは、「喜ばしいことよ」と二人の関係を祝福し、やがて3人は同じ屋敷で暮らし始める。女同士2人の関係から始まって、1組の男女と取り残されたもう一人の女性という奇妙な三角関係が始まる。フレデリックに興味もなかったようなホワイが初めて好きになった男を奪われ、変わっていく。ホワイはフレデリックになろうとするのだ。フレデリックの化粧道具を使って、ホワイがフレデリックにソックリのメイクをする場面はドキッとする。それを見るポールは、ホワイのことが分からなくなる。さらにポールに嫉妬していた男2人組は、「この家の秩序を破壊し、革命を起こすのだ」などと、不穏なことを言い出す。それを聞いたフレデリックは、男2人を追い出し、3人だけの生活になり、ますまず奇妙な三角関係は微妙なバランスになっていく。ホワイはフレデリックとポールのセックスを扉の前で盗み聞きする。そしてある日、再びフレデリックはホワイを一人置いて、ポールとパリへ旅立っていくのだ。
クロード・シャブロルの映画は、『肉屋』と同じように微妙な関係のまま、何も起こらず時間が過ぎていき、最後に何かが起きる。本作では、サン=トロペの別荘を引き払ってパリのフレデリックのところにホワイが突然やって来るのだ。「愛しているフレデリックとポールのそばにいたい」と言って、手に持っているハンドバックをブラブラさせているホワイ。そのブラブラさせているハンドバックのショットが凄い。まさに何を考えているのか分からない不気味さは、フレデリックにも伝わり、「あなたは邪魔者よ。もう私の前から消えて」と言う。彼女は何しに来たのか?何をしようとしているのか?そしてハンドバックには何が入っているのか?そんなことを考えながら観客は不穏な空気を感じる。この「ブラブラさせているハンドバック」の演出が、クロード・シャブロル映画の凄いところだ。
そしてハンドバックから取り出した毒付きナイフでフレデリックを刺したホワイ。電話をかけてきたポールに、フレデリックに成り代わってポールを呼んで、ポールが家にやって来た玄関のショットで、映画は終わる。この終わり方もすべてを見せない巧みさがある。彼女がその後どうしたのか?ホワイはフレデリックに成り代わったのか?ポールも殺したのか?観客は想像するだけ。ブルジョワ階級のフレデリックにホワイは成り代わる。砂糖は一個半と強い自己主張をしていた金のないアーティストのホワイが、金と力で別荘に連れてこられ、性的関係を支配されて変わっていく。自ら男性を好きになっても、その男性も奪われた。それでも一緒にいるホワイは何をしたいのかよく分からない。服従?寄生?利用?愛?復讐?依存?憧れ?反感?黒い服でセーヌ川に現われたフレデリックだが、最後にホワイはフレデリックのように黒いワンピースでベットに寝転ぶ。関係の変化によって、バランスが微妙に変わって、変化していく人間の心理。簡単に言葉では言い表せない心の動きを見事に映像化しているのだ。ジャクリーヌ・ササールがどんどん美しくなっていく。そしてステファーヌ・オードランと似てくるところがゾクゾクしてくる。「わが愛しき女鹿たちよ」とジャン=ルイ・トランティニャンが二人の美女を横に抱きかかえるのは、どんな気持ちなんだろう。美しく奇妙な関係の女鹿たちの映画である。
1968年製作/99分/フランス・イタリア合作
原題または英題:Les Biches
配給:コピアポア・フィルム
監督:クロード・シャブロル
製作:アンドレ・ジェノベ
脚本:ポール・ジェゴフ、クロード・シャブロル
撮影:ジャン・ラビエ
編集:ジャック・ゲヤール
音楽:ピエール・ジャンセン
キャスト:ステファーヌ・オードラン、ジャクリーヌ・ササール、ジャン=ルイ・トランティニャン、ナーヌ・ジェルモン、セルジュ・ベント、アンリ・アタル、ドミニク・ザルディ
写真引用(C)Les films La Boëtie
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