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2026年03月06日14:57

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「一人息子」小津安二郎〜初のトーキー作品・母と息子の東京物語〜

小津安二郎のトーキー作品で唯一見ていなかったトーキー第1作の『一人息子』を見る。小津安二郎が「ゼームス・槇」名義で書き下ろした原作を自ら映画化。『東京物語』の息子の親孝行版とでもいえるだろうか。母親が信州の田舎から東京に出てきて、久しぶりに息子と再会する話。

最初は1923年の信州。製糸工場の女工で貧しいながらも母親(飯田蝶子)が女手一つで息子を育て、小学校担任の大久保先生(笠智衆が若い!)から息子(子役=葉山正雄)の中学校進学について話を聞く。中学校なんか行かなくていいと思っていた母親だが、「これからの時代は学問しないと偉くなれない」という大久保先生の忠告もあり、なんとか学費を捻出して中学から大学までの進学と卒業後の就職での上京を許す。工場の生糸の糸車がクルクルと回る。大久保先生も東京へ行って出世を目指す。

そして1936年、東京。母親は上京して何年も会っていない息子を訪ねる。タクシーの前車輪カバーにカメラを据えての移動撮影。都会のビルや橋が映し出される。そして息子の家は郊外の野原の向こうのバラックのような狭い家。しかも母親に何も告げずに妻(坪内美子)をもらい、赤ちゃんまでできていた。隣の建物から工場の機械音が規則正しく聞こえてくる。そしてかつての恩師の大久保先生に挨拶に行くと、先生はトンカツ屋のオヤジになっていた。かつての恩師が出世もできずに食堂をやっているというのは、『東京の合唱(コーラス)』(1931)と同じ設定。厳しい体育の先生だった斎藤達雄が不況で仕事が見つからず、食堂カロリー軒を始める。それをかつての卒業生たちがチラシを配ったり宣伝して手伝う話だった。因みにかつての恩師ひょうたん(東野英治郎)が娘(杉村春子)と定年後に細々とラーメン屋をやっていたのは『秋刀魚の味』だった。大久保先生(笠智衆)も上京してもうまくいかなかったように、息子の良助(日守新一)も母親に無理して大学まで行かせてもらって東京に出てきたのに、いい仕事にありつけずに夜学の教師で日銭を稼いでいる始末。良助にしてみれば、もっとマシな仕事について母親を東京に呼びたかった。同僚に金を借りて母親にご馳走し、トーキーの洋画を観たり、東京見物に連れ出すのだが、その金もすぐに尽きてしまう。良助は仕事がない東京での暮らしの困難さを母親に訴えるが、母親はそんな不甲斐ない息子にガッカリしてしまう。

翌日、隣の子供(突貫小僧)が馬に蹴られて怪我をする事故が起きる。良助はいち早く救急車で子供を病院まで運び、子供の母親 (吉川満子)に入院費をそっと渡す。そんな優しい息子の姿を見て、母は誇らしく思う。貧しく困ったときに助けてもらうことが、どれほど救われることかよく知っている母は、立派に成長した息子を見て安心して郷里に帰っていくのだった。そして仕事仲間には息子が仕事して偉くなっていたと話すのだった。

野原の空き地と工場の煙突から煙がたなびく。そんな空き地を歩いていく後ろ姿を捉えた映像はいかにも小津らしい。正面から人物を捉えるよりも、小津は歩いて行く後ろ姿を描くことが多いのではないだろうか。物干しにかけられた数々の洗濯物、トンカツ屋の旗、部屋の壁に掛かった映画のポスターや女優の写真、夜泣きのまじないの絵、隣の工場の規則的な音、回る製糸工場の糸車。そして親子の間に流れる情。小津安二郎の原点とも言える映画だ。ちなみに人物の正面から捉えたい小津のカメラ位置はこの映画でもイマジナリーラインを無視したポジションが見られた。


1936年製作/87分/日本
配給:松竹

監督:小津安二郎
原作:ゼームス・槇
脚本:池田忠雄、荒田正男
撮影:杉本正二郎
音楽:伊藤宣二
キャスト:飯田蝶子、日守新一、葉山正雄、坪内美子、吉川満子
写真引用コピーライト︎1936年松竹株式会社
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