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2025年11月30日19:13

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安部公房 小説「壁」、戯曲「友達」ほか(新潮文庫)ブックレビュー

今更ながらの安部公房である。しかし今読んでも、まったく古びていなくて斬新で前衛的でシュールで、人間存在そのものの不安を描いていて素晴らしい。1951年芥川賞受賞作である安部公房27歳の時の小説『壁』を読む。

「第一部 S・カルマ氏の犯罪」は、「目を覚ましました」から始まるのだが、明らかにカフカの朝、目を覚ましたら毒虫に変わっていた『変身』を意識しての書き出しである。この男の朝の「変な感じ」は、「名前が思い出せない」ことから始まる。そして名前を失った男は、「S・カルマ」と事務所の自分の名札を見るのだが、それが自分の名前のように思えない。そして会社のデスクにはすでにもう一人の自分がそこにいて、それはぼくの名刺だった。「何しに来たんだ。ここは僕の領分なんだ」と名刺に言われたぼくは、病院へと向かう。受付で名前を聞かれて戸惑う男は、病院の待合室で見た雑誌の砂丘が広がる曠野の写真に魅せられる。そしてその何もない砂漠の曠野を胸の中に吸い取ってしまうのだ。自己分裂に胸の中に広がる空虚。男に奇妙なことは次々と起こる。その胸の中の砂漠を嗅ぎつけた動物園のライオンやシマウマ、ラクダが近づいてくる。ラクダと目が合ったカルマ氏は胸の中にラクダを吸い取ってしまいそうになると思わず目を逸らす。そして突然男たちに取り押さえられ、裁判にかけられてしまう。奇妙な裁判が始まったかと思うと、人々は吸い取られるとこを怖れてカルマ氏に目隠しをする。恋人のタイピストのY子も登場し、裁判から逃げ出して自分の部屋に戻って来ると、今度は脱ぎ捨てていた上着やズボンや靴が動き出し、「死んだ有機物から 生きている無機物へ」とスローガンを掲げ、帰ってきた名刺とともに革命が始まろうとしていたのだった。さらにマネキンのY子も現われ、奇妙な世界が男に次々と襲いかかってくる。このシュールで異様な世界の驚きべき描写の数々。最後は胸の中の曠野で壁が成長して大きくなって、ぼくそのものになっていくのだった。

第二部「バベルの塔の狸」では、奇妙な動物が現われて、詩人であるぼくの影を銜えて逃げ去ってしまう。自分の影をなくした男は、透明人間のようになり、透明人間の存在を怖れた社会は、あらゆる犯罪を透明人間の仕業だと決めつけ、男は逃げ場を失っていく。影を失い、肉体を失って耐えがたい孤独と孤立感の中で、「君に養ってもらっているとらぬ狸」が現われ、バベルの塔に連れて行かれるのだ。あらゆる人間のとらぬ狸がいるバベルの塔の世界で、目玉を目玉銀行に預けて天国へ昇天せよと男は言われる。そして男は時間彫刻器で影を失う前に時間に巻き戻そうと、とらぬ狸たちとの大騒動が展開されるのだ。

第三部「赤い繭」は、「家」を失う話だ。「私の家」がどこだか分からなくなって、「ここは私の家ではなかったでしょうか?」と家々を訪ねて回る話。あるいは、人間が形を失って液化してしまい、液体人間の出現によって世界は洪水に見舞われる恐怖が迫ってくる。さらにチョークで絵を描くことによって世界を作り上げる話だと、いずれも荒唐無稽。不条理で奇想天外なものばかりだ。

ここに描かれているのは、「自分」を失う恐怖と不安。昨日までの安定した世界が突然、崩れ壊れてしまう恐怖。「名前」を失い、「影」を失い、「家」を失う世界の中に突然放り出されて、孤独と孤立の中で彷徨い続ける。そんな悪夢のようなシュールな世界が、理知的に幾何学的に描かれる。

続いて読んだ戯曲の『友達』は、加藤拓也が上演台本を書き・演出をして、2021年にシスカンパニーが上演していた舞台をテレビで見たことがある。安部公房の世界は現代でもまったく通用する。突然、9人の大家族が一人暮らしの男の家に押しかけてきて、住みついてしまう話だ。男がいくら「帰ってくれ」と言っても、大家族は平気で居座ってしまう。男の恋人でさえ、大家族の味方をしてしまうような奇妙な展開がブラックな笑いとともに描かれていく。まさに短編『赤い繭』で、自分の家を失ってしまった男の話が、ここでは家を奪われる話として展開されていく。善人に見える大家族は、警察も世間も誤魔化してしまう。声を荒げず、平然と平和に個人の自由を奪っていく。個人が共同体や世間に飲込まれてしまう不条理を見事なブラックジョークとして描いている安部公房の戯曲の傑作だ。
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