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2025年09月29日13:06

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「自由の幻想」ルイス・ブニュエル〜価値観の転倒や映る現実とフィクションの乖離〜

昔、名画座で「ルイス・ブニュエル特集2本立て」とかよくやっていた。そのあまりな理解不能な世界に驚かされた。こんな映画もアリなんだという奇想天外な世界。ただただ呆気にとられて観た記憶だけがある。ブニュエル作品をこのところ見直しているが、これもひときわ異彩を放っている。

人を食ったようなブニュエル爺さんの幻想コント集、わけ分からない世界が次々と展開されていく。物語はなにもない。リレー形式のエピソード集だ。それも不可思議というか不条理というか、逆転された世界というか、倒錯的世界と言うべきか、ブラックジョークなのか、悪意に満ちた皮肉なのか、支離滅裂な勝手な幻想世界だ。

映画は登場人物が移動しながらバトンタッチするようにエピソードが羅列されていく。それぞれの奇妙な世界に笑うか、唖然とするか、理解不能な世界に呆気にとられるか、観客はどう反応していいか分からない。戸惑うばかりのそんなヘンテコな映画だ。理解や感情や常識をすべてひっくり返しているブニュエル監督の企みに満ちた映画の総決算という感じか。

1808年ナポレオン軍の占領下のスペインのトレドから始まる。「自由くたばれ」という反乱者たちの銃殺による処刑シーンだ。ナポレオン軍がキリスト教会で野営し、キリスト教を冒涜するシーンがあり、飾られていた石像の手が突然動き出し、ナポレオン軍の大尉(ベルナール・ベルレー)を殴り倒す。大尉はその石像の墓を掘り起こすと、そこにはさっきまで生きていたような美しい女性が眠っている。その物語を朗読する女性がいる現代のパリの公園に場面は転換。現れた女の子たちが滑り台で遊んでいると、ある紳士が女の子に写真を手渡す。それを家に持ち帰って女の子が親に見せると、卑猥で不潔な写真と親たちが怒り出す。しかし実際にはただの風景写真なのだ。この映画では、映し出される映像(現実)と役者たちが演じること(フィクション)に乖離があるのだ。まったくチグハグで辻褄が合っていないのだ。夫婦二人(ジャン=クロード・ブリアリとモニカ・ビッティ)が写真を見て、若い頃の二人のセックスを思い出して興奮したのか濃厚なキスをする場面が可笑しい。キスを求めるモニカ・ビッティが色っぽい。夜の二人の寝室。眠れないジャン=クロード・ブリアリは、寝室にニワトリやダチョウがやって来るのを目撃する。そして自転車の郵便配達人から寝室で手紙を受け取る。その夢のような寝室での光景を医者に話していると、看護師(ミレナ・ブコティッチ)が父が病気で休みをもらいたいと医者に言いに来る。手紙つながりでジャン=クロード・ブリアリからミレナ・ブコティッチへ。そこから彼女が実家に帰る話になる。途中でキツネ狩り?をしている戦車と出会い、道路が封鎖されていると聞き、森の中のホテルに泊まる。雨が降りしきる中で、ホテルに足止めをされて泊まる奇妙な客たち。4名の修道士、フラメンコ・ダンサーとギタリスト、 恋愛関係にある叔母と甥、帽子屋と女性アシスタント。4名の修道士たちは、彼女の父親の病気を祈ると言って部屋に入り込み、タバコをふかしながら、なぜか一緒にカードゲームに興じている。年老いた伯母と若い甥の禁断の恋愛も描かれる。伯母を求める甥。伯母はベッドで裸になるが、見られることを恥ずかしがって拒否する。さらに帽子屋の紳士(ミシェル・ロンズデール)と女性アシスタントは、甥や修道士たちみんなを部屋に招きパーティーを始めるが、そのうちムチで尻を叩くSMプレイを始める始末。翌朝、ミレナ・ブコティッチがホテルから車で警察学校に教授(フランソワ・メーストル)を送っていくと、今度は警察学校の話になる。教授が法律と習慣について授業を始めると、生徒である警官たちが次々と現場に出動していなくなる。生徒は入れ替わり立ち替わりいなくなり、授業が何度も中断される。この中断する感じは『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(1972)とも似ている。そして教授が習慣の違いに驚いた夫婦で友人宅に招かれた話をする。そこでは、食事と排泄が逆転しているのだ。この映画の有名なシーンだ。このシーンはかつて観たときの記憶が鮮明にある。食卓の椅子が便器で、便器に尻を出してみんな跨がりながら食卓で会話をするのだ。そしてトイレに行くような感じで個室に入り、そこで一人で食事を取る。奇妙な価値観の逆転。そして未来の世界の人口増加と排泄物でいっぱいになる地球の危機について話をするのだ。そして警察学校の警官たちに戻って、今度は彼らがスピード違反で捕まえた男(ジャン・ロシュフォール)の話になる。病院に急いでいたと言い訳をしたジャン・ロシュフォールは、医者からガンを告知され、医者を平手打ちで殴る。家に帰ったら、今度は娘が学校からいなくなった電話が入る。妻(パスカル・オードレ)と娘を学校に送っていった乳母と一緒にジャン・ロシュフォールは学校に行くのだが、先生も校長も娘のアリエットが行方不明だと言う。しかし、教室にはアリエットはいるのだ。姿が見えるのに、行方不明だと大騒ぎする親たちは、アリエットを連れて警察に行き、捜索願を出す。アリエットをみんなで見ながら、アリエットの特徴を確認し、「捜索に全力を尽くします」なんて警察も言っている。まったく映像と演じられていることが噛み合わない。さらに話はビルの上層階の誰もいない改装中の窓から、ライフルで無差別殺人をする男の話になり、街中で次々と銃に撃たれて人々が倒れていく。まさに目的もない無差別テロだ。そしてその男の裁判が行なわれ、裁判官に死刑を宣告されたはずなのに、男の手錠は外され、タバコを吹かし、裁判所を出て行き、人々に取り囲まれサインまでねだられる人気ぶり。まったく言っていることと正反対の描写が続く。そしてアリエットが見つかったと警視総監から呼ばれ、なぜか感動の対面が演じられ、今度は警視総監(ジュリアン・ベルトー)の話になる。警視総監は「約束がある」と中座してバーに行き、亡くなったはずの妹ソックリの女(アドリアーナ・アスティ)と出会う。その警視総監の妹との思い出の回想では、なぜか妹(アドリアーナ・アスティ)は裸でピアノを弾いている。エロい妄想。すると死んだはずの妹から電話があり、彼女が埋葬された地下の墓地に行くと、棺桶から髪が出ていて、そばには電話機がある。警視総監だったのに、墓地荒らしの警視総監の偽物として警官に捕まり、警視総監はもう一人の警視総監(ミシェル・ピッコリ)と対面する。二人はなごやかに談笑し、一心同体のような奇妙なやり取りがあり、何やら事件がある動物園に二人で行くと、「自由くたばれ」というデモ隊と遭遇し、「思いっきりやれ」と銃でデモ隊を鎮圧する。その銃声や教会の鐘の音や怒号。なせ動物園?これは動物たちの騒乱?そこにダチョウの顔のアップが挿入され、カメラは360度振り回され、映画は終わる。

まったくとりとめのない映画である。エピソードを羅列してみたが、まったく意味がないし、つながりもない。エピソードのキッカケや人物がつながっているだけだ。性と暴力が風刺的に描かれるだけだ。価値観は転倒し、ルール(習慣)は逸脱し、映っている映像とフィクションの内容が合致しない。すべてははぐらかされ、ズラされている。映像の攪乱と混乱。反乱は銃でねじ伏せられ、暴力的なテロは日常的に起きる。遺作となった『欲望のあいまいな対象』(1977)でもテロは日常的な暴力として描かれていた。暴力で始まり、暴力で終わる。時代によって価値観は変わり、絶対的な価値や権威などなく、すべては相対的なもの。皮肉の対象。暴力は権力で鎮圧され、それでも暴力は続く。権力者、宗教的権威や裁判所、警察権力は皮肉られ、そして死者たちは墓から何度でも甦る。動物たちがそんな世界に闖入してくるところがまた面白い。


1974年製作/104分/PG12/フランス
原題または英題:Le fantome de la liberte
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム

監督:ルイス・ブニュエル
製作セルジュ・シルベルマン
脚本:ルイス・ブニュエル、ジャン=クロード・カリエール
撮影:エドモン・リシャール
美術:ピエール・ギュフロワ
衣装:ジャクリーヌ・ギュイヨ
編集:エレーヌ・プレミアニコフ
キャスト:ベルナール・ベルレー、ジャン=クロード・ブリアリ、モニカ・ビッティ、アドリアーナ・アスティ、ミレナ・ブコティッチ、ミシェル・ロンズデール、フランソワ・メーストル、ジャン・ロシュフォール、パスカル・オードレ、ジュリアン・ベルトー、ミシェル・ピッコリ
☆☆☆☆☆5
写真引用(C)1974 STUDIOCANAL FILMS Ltd
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