上村松園展を見るため京都から大阪にやってきましたが、夕方京都に戻らなければならないので、急いで帰ることに。
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途中、淀屋橋で「淀屋の碑」を見かけました。
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淀屋橋の名前の元となった淀屋ですが、淀屋初代の常安(じょうあん)が秀吉から淀川の築堤工事を請け負って財を成したのが始まりだそうです。
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大坂の陣では徳川方に与し(くみし)、二代个庵(こあん)も順調に商売を拡大していき、淀屋屋敷は百間四方(約33,000平方メートル)にもなり、内装も豪奢をきわめたとか。
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しかし時は移り江戸時代、町人身分をわきまえない驕奢な生活とその財は、幕府から目を付けられ、五代目辰五郎の時に全財産没収、所払い(ところばらい)となり、淀屋はなくなりました。
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財力、権力が強すぎるだけではなく、諸大名に貸し付けていた金額も莫大に過ぎ、その影響力があまりにも強すぎたようです。
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この淀屋橋は、淀屋二代目个庵(こあん)が商売のため私費で架けたそうです。
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淀屋が大阪に「米市」を作ったそうな。
それと徳川家の御用商人であったため、1697年に堂島に移るまで、米取引は淀屋の店先で行われていたそうです。
米と言えば当時は実質お金です。 淀屋は、現代の日本中央銀行よりずっと強い権力があったと推察します。
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米以外にも魚市場も開設。
国内外の交易も取り仕切り、大名貸しに代表される金融業も行っていました。
大阪が商都になる礎を築いたのが淀屋さん。 そしてその巨大な力によって潰されてしまう……。
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総資産は現在の貨幣価値に換算すると200兆円を超えていたそうです。
いや〜、僕よりお金持ちやん(^o^; “笑
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この淀屋の発展と凋落の顛末は、近松門左衛門によって浄瑠璃『淀鯉出世滝徳』(よどごいしゅっせのたきのぼり)となりました。
見てみたいです。 歌舞伎も見たい。
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鳥山石燕の妖怪画集『百器徒然袋』には、この淀屋辰五郎の逸話をもとにした鉦五郎という妖怪が登場するそうです。
あまりにも劇的なお話なので、淀屋は最後には妖怪にまでなってるんですね(^_^;)。
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