◯2008年11月16日の日記を大幅加筆修正
立川談志が立川談志に成ったのは´63年頃、それから数年たって一冊の本を出しました。「現代落語論」というタイトルの本で、談志はその後もたくさんの本を出しているのだが、談志のオリジナルナの考えが書かれた本と言えばなんと言っても、この本。
で、まあ、これが大評判になって、
「落語家が本を書くの、へぇー、ホンと」
からはじまって、
「こういうの理論書っていうらしいよ、ところで理論ってなあに」
これ、林家三平が言いました。
といったお調子の中で、談志はインテリ落語家になっちゃった。まあ、これが、上へ上へと舞い上がるはじまりとも言えるのだが、その骨になったのが
「落語は人間の業の肯定である」
という40年この方、言い続けているテーマ。
「お前さん、深いねぇ、大変に深い。感心するほど欲が深い」
「あー、俺が死んだら、この小判は。えーい、食べちゃおう」
「若旦那、花魁はあなたにベタボレ。きょうは若旦那、来ないの、来ないの、なんて大騒ぎ」
人って言うのは、欲が深かったり、へつらったり、色ぼけしたり、これ、止まらないもんだからそれなりに認めちゃってね、上手くやっていくでげしょ。
欲深、へつらい、色ぼけ、なんてのすっかり改善されちゃったら、世の中つまらないよ。人の業ってのは、トヨタの工場じゃないんだから「改善」はできません、ってなことを言っているのですね。
(この上の4行ほどが、談志の分厚い本の核心です)
それまでの落語評論は間とか味ばかりをテーマにしていたので、ま、みんなびっくりしちゃったのですね。
で、この評判を「笑点」でネタにしたのが落語界の貴公子、キザの金遊。貴公子といっても顔は正反対の下駄面で、顔に下駄はいてる貴公子がいるかってんだ。それはともかく、このネタは、まあ、よくできているんだ。
暮でね「忠臣蔵」が題になっていたね。そこで、
「え〜、忠臣蔵とかけて」
「ど〜したの、なんだい」
「談志の本、現代落語論と解く、解いちゃうよう」、コホン。
金遊、例によってすかした声で(これが、ややきみ悪い)。
さすがの談志も少してれてニコニコ、頭をかきながら
「え、おい。俺の本かい、やだねー。その答えは」
「男子の本懐(談志の本かい)」
談志は大テレでその日の「笑点」、そのままお開きとなりました。
あの時のふんわりした談志の顔はその後、一回も見たことがないねぇ。この謎解き、それだけ威力があったんだねぇ。
えー、まあ、ぼくもあまりの出来のよさに、かれこれ40年もおぼえていたわけだから大したもんだ、と。
40年ぶりの下げが出たとこで、まだ話もあるが、お後がよろしいようで。
◯
で、まあ、落語は人間の業の肯定とその後も50年にわたって言い続けていたのだけど、間際(まぎわ)……間際って言ったって死ぬ間際だよ、人間いちばん忙しい最中だなあ、野郎「江戸の風」と言い直した。
あと続けたかったんだろうが、本人ノド切つちゃって、すっかり声が出ない。
それじゃあ実のところ本人も言い足りないだろうと、書きついでやったのが「続・ぼくの落語論5 おめぇなぁ、自由って知ってるか。」(2023年3月19日掲載)
なんでぇ、ございますだ。こっちは2行でまとめたわ(詳しくは本文、読んでね)。
「江戸の風ねぇ……その風の中味が、自由というものでありんす。そいつは粋というものの親でもありんす。親がいなけりゃ子はできぬ、とも申します」
で、談志をちょいと進化させてとうとう江戸文化論まで引きつないだ。おうっ、談志、家元、ガキの頃からの仲間内の、あの、あの兄(あに)さん。
「まさか文句はないだろう、ないよね、いいよね」
こうして今年も暮れて行く。
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