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2016年10月03日15:04

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私と「場」、共同体の関わり

先日読んだ本の中で、スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガゼットの「私とは、私とその環境である」という言葉が紹介されていた。

人は一人では生きていけない。家族を作り、部族を作り、集団をつくり、村や町をつくり、社会をつくり、国家という枠組みを作り、さまざまな枠組み、集団、共同体に帰属して生きている。個、「私」とは、環境から独立してあるわけではなく、環境とのかかわりにおいて規定されている。

ザックリ言ってしまうと、まわりが「私」を決め、つくる。他者の視線を介在させないと、「私」は存在しない。さまざまな「私」がある。家庭では、「父」であり、「夫」であり、「義父」でもあったりする。会社では「部長」だったり、部下だったり、仕事仲間から見られる「私」がいて、友人から見られる「私」、ゴルフやテニス仲間から見られる「私」もいる。あるいはここmixi仲間から見られる「私」もいる。さまざまな「私」がいるし、それもすべて含めての「私」であり、それぞれの見られ方が違っていても、みんな「私」である。

そのようにいろんな「私」を使い分けながら、人は生きている。それはさまざまな集団、共同体に帰属しているということである。そして、それぞれの共同体の中で、それぞれの役割がある。

「個の自由」というものが言われ出したのは、共同体や組織が個を束縛し、不自由な枠の中で閉じ込め、慣習や掟の中で個を圧迫する前近代を乗り越えようとした近代の言い回しである。たしかに、家父長制度や村落共同体の圧力が、個の自由を奪い、やってはいけないことが数多くあり、個が押しつぶされることも度々あった。そして、近代以降、共同体は次々と壊され、個の自由の時代が謳歌されるようになると、個はバラバラになり、それぞれが孤独になっていった。煩わしい親戚づきあいは極力避け、核家族化が進み、一方で、SNSでつながりを求め、別の共同体が作られるようにもなっていった。震災時には「絆」という言葉がもてはやされ、「つながり」こそが人を救うとでも言われるようになる。

個と集団、共同体の関わりは人間の宿命とも言うべき課題である。言うまでもなく、国家の名のもとに、生死の自由が奪われた時代もある。個が共同体とどのような関係を築いていけるかが永遠の課題と言ってもいい。

中島岳志が「ナナメの関係が作れる場所が必要だ」とどこかに書いていた。秋葉原事件の加藤被告のことを調べた中島氏は、加藤が「もう自分の居場所はどこにもない」と言っていたと指摘する。「居場所」とは、自分という存在を認めてもらう場所だ。彼は架空のSNSという空間でしか人との関係を築けなかった。

日本社会は、上司と部下、先輩と後輩、同級生といった縦横の関係がとても強い。それらとは違う「ナナメの関係」をたくさんつくっていくというのが、これからの共同体のあり方じゃないか・・・と中島岳志は提案する。

日本は特に同調圧力が強く、関係に縛られて身動きできなくなってしまうことがしばしば起きる。かつての前近代的家族や共同体がそうだったように、現代の学校のいじめでもそうだ。学校という閉鎖された「場」でしか、居場所を持てなかったら、学校でいじめられると、自分は全否定されてしまう。利害関係でがんじがらめにならない「ナナメの関係」、「ゆるやかな共同体」とでもいうべき居場所をいかにたくさん持つことが出来るかが大事なのだ。

「私」には、いろんな「場」があり、それぞれの「場」でいろんな「私」を人は演じている。それぞれの「場」で、いかに居心地のいい共同体をつくれるかが、人のしあわせ度なのかもしれない。家族や恋人と、会社で、学校で、友人仲間で、遊び仲間で、スポーツ仲間や趣味の仲間で。居心地のいい、がんじがらめにならない関係。自分のことを認めてくれて、共同体の仲間のことを大切に思える関係。それは、地域でも、サークルでもなんでもいいのだ。集団の大きさは関係ない。

私は昨日、テニス仲間とチーム戦を戦い、一緒に一喜一憂し、感動し、勝利のヨロコビを分かち合った。会社とは別のこういう仲間って、いいものだと思う。地位や上下関係のないテニスだけを通じた仲間。それは、日本ハム・ファイターズの優勝のヨロコビを地域のファンと分かち合うことも同じだ。孫の誕生を喜べる家族。映画の感動の共有。家族、地域、サークル、SNS、共同体。ささやかなことを共有し、さまざまな関係の中で「私」は形作られ、しあわせは増幅される。

一方で、共同体が閉鎖的な内社会性を高め、攻撃的排他性を持つことも事実である。日本の金メダル獲得に日本国民が熱狂するように、共同体のなかでの感情は関係を深めもするが、排他的攻撃性を強めることもある。ヘイトスピーチや戦争を持ち出すまでもなく、共同体は時に感情とともに暴走する。

出入り自由で気ままで居心地のいい、ゆるやかな共同体をいかに持つことが出来るか。閉鎖的にならずに、自由で気ままな共同体。それは「私」の充実とシアワセと大きく関わってくる要素でないかと思うのだ。

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