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2026年09月07日21:40

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「オデュッセイア」クリストファー・ノーラン〜なぜ、いま?知略の先にあるのものとは?〜

なぜ、いま、古代ギリシャの詩人ホメロスの英雄叙事詩『オデュッセイア』をクリストファー・ノーランは映画化したのか?ギリシャ神話の「知恵の英雄」オデュッセウスの10年に及ぶ帰還の旅の物語。『オッペンハイマー』(2023)で、原爆を生み出して、結果的に戦争を終わらせた天才科学者の栄光と苦悩を描いたクリストファー・ノーランが、今度はトロイア戦争で優れた知略や策略でギリシャ側を勝利に導いた伝説の英雄を描いた。武力や権力よりも知性、知略で時代を切り拓き、戦争を終わらせたという意味では二人は共通している。「原爆」が今回は「トロイの木馬」になっており、その科学・知略による勝利の先に、いったい何があったのか?そのことがいずれも問われているのだ。長編映画として史上初となる全編IMAXフィルムカメラでの撮影を敢行。迫力あるIMAXシアターの大画面で鑑賞した。

まったく難しい映画ではない。ギリシャ神話の知識がなくても十分楽しめる。オデュッセウスを演じるマット・デイモンがやたらとカッコいい。冷静・沈着の知将であり、しかも強い。この物語は、トロイア戦争そのものの戦いを描いた英雄譚でもなく、怪物たちを勇敢に退治する冒険物語でもない。戦いに「行く」のではなく、「帰る」物語なのだ。侵略、征伐、領土拡張、進軍する話ではない。あくまでも戦いを終えて故郷に帰還するオデュッセウスの試練の物語である。戦いのヒーローではなく、帰還するヒーローなのだ。戦いに勝利したヒーローが勝利の余韻に浸るわけではなく、なかなか故郷に帰還できない試練に出遭うのだ。そして夫の帰りを待ちわびる王妃ペネロペ(アン・ハサウェイ)は、財産と王の地位を手にいれようと争う求婚者アンティノオス(ロバート・パティンソン)たちに囲まれていた。王の不在が10年も続くオデュッセウスの故郷イタケの国は、混乱に満ちていた。王妃ペネロペは埋葬用の布を織り上げたら再婚するという約束を先延ばししようと、「昼に織った布を、夜にこっそりほどく」ことで再婚までの時間稼ぎをしていた。息子のテレマコス(トム・ホランド)は、求婚者たちによって窮地に陥り、まだ見ぬ父が生きているのか、死んでしまったのか?その行方を探す旅に出る。

オデュッセウスの帰りを待ち孤立するペネロペ、旅に出るテレマコス、オデュッセウスに仕えた盲目となった豚飼いエウマイオス(ジョン・レグイザモ)、そして求婚者たちなどのイタケの混乱を描くパートと、カリュプソの島で「蓮の実」を食べながら、帰りたいという気持ちを忘れ、記憶を失っているオデュッセウスが海の女神カリュプソ(シャーリーズ・セロン)と7年も暮らしている場面が描かれる。少しずつ記憶を取り戻していくオデュッセウスの物語と王の帰りを待つイタケの物語が交互に描かれていくのだ。時間を前に辿りながら、オデュッセウスの曖昧な記憶が明らかになっていく。時間を前後させ構成するのは、クリストファー・ノーランお得意の手法だが、今回は錯綜・混乱することもなく、いたって単純でわかりやすい。

オデュッセウスの帰還の旅の試練は、島に上陸しては魔物や巨人や魔女たちに翻弄されて船に逃げ帰ることの繰り返しである。羊とともに暮らす一つ目の巨人の島で、最後にオデュッセウスが巨人の目に弓を放つ。しかし一つ目の巨人は海神ポセイドンの息子だったため、ポセイドンの怒りを買って彼らは海を漂流することになる。この一つ目の巨人に何人か仲間が食われることになるが、決して残虐な巨人として描かれるわけではない。どこか寂しさすら漂う哀れな巨人といった感じだ。次に漂着した島では、鎧をまとった少年が出てきて、その後に現れた鎧の巨人たちに次々に襲われることになる。これも少年を守るために、海から来たよそ者を撃退しているだけとも言える。さらに生き残った者たちは、また別の島へと流れ着き、魔女キルケ(サマンサ・モートン)のもとで、食事をたらふく食べて豚の姿を変えられてしまう。この魔女キルケもいかにも魔女的な姿ではなく、普通の島の女として描かれる。海からやって来た人間たちは、欲望にまみれて略奪する野蛮な人間たちなのだ。オデュッセウスだけは食事を食べずに豚に変えられなくてすみ、仲間たちも人間の姿に戻してもらうが、魔女を殺すようなことはしない。そしてオデュッセウスは冥界へ向かい、数々の死者の兵士たちと出会う。そしてトロイア戦争のトロイの木馬の作戦の顛末が描かれていく。

巨大な木馬の内部に兵を潜ませ、浜辺に巨大な木馬が置かれている。シノンという兵士が女神アテナへの捧げものだと伝え、トロイア人たちを信じこませて欺く。シノンを犠牲にしながらも、捧げ物として城内に運ばれたトロイの木馬。その木馬の中から脱出したギリシャ軍は、城門を開き、味方の軍勢を招き入れて、トロイアを陥落させた。トロイの木馬は、オデュッセウスが考え出した策略・知恵の象徴だ。そこで罪のない女性たちやトロイア人を虐殺する場面が描かれる。オデュッセウス自身が炎に焼かれ崩れ落ちる街を見ながら、放心したように佇んでいる姿が映像化されている。決して戦争を輝かしい勝利として描いていない。愚かで残虐な街の破壊。

味方のアガメムノンとメネラオスは先に帰国する一方、オデュッセイウス一行は女神アテナの導きに従い、ゆっくりした航路を進む。そして次々と試練に遭うのだ。冥界でオデュッセウスは預言者テイレシアスの亡霊と会い、「神々の意思により、生きて故郷へ帰れるのはオデュッセウス一人だけだ」と予言される。その予言に抗おうとするオデュッセウスだったが、船が渦潮に巻き込まれそうになるのを避け、仲間を怪物に予言通りに襲われる。セイレーンの歌声を耳に蠟を詰めて通り過ぎるが、「聖なる牛を殺せば全滅する」との予言を仲間に伝え、島に上陸する。しかし、空腹に耐えられずに仲間たちは牛を食べてしまい、ポセイドンが嵐を起こして船は沈没、仲間は全員命を落とす。そしてオデュッセウスだけが生き残り、記憶が曖昧になりながら、女神カリュプソ(シャーリーズ・セロン)と7年の歳月を過ごしたのだ。やがて記憶を取り戻し、筏で脱出してオデュッセウスは一人故郷に戻るのだった。

人間の底知れぬ欲望が試され、仲間は命を落としていく。要するに帰る資格はあるのかが問われているのだ。トロイの木馬の知略で戦争を終わらせたが、街を破壊し、人々を殺戮する戦争そのものの愚かさが描かれる。つまり、この映画は戦いを劇的に見せる映画ではなく、戦いそのものの愚かさと、帰還することの大切さ、戦いの過程で死んでいった兵士、死者たちを弔う映画なのだ。

「ゼウスの掟」がイタケの国で何度も語られる。「たとえ見知らぬ旅人であっても、訪ねてきた者を快く迎え入れ、食事や寝床を与えなければならない。なぜなら、相手がみすぼらしい乞食のように見えても、実は神が変装した姿かもしれない」からだ。オデュッセウスや臣下たちは、トロイアの街を滅ぼし、様々な島に漂着し、海から来た者として、戦い奪うものでもあった。そしてオデュッセウスは故郷の国に戻りながら、自ら王と名乗らずに、乞食のシノンと名乗る。「トロイの木馬」の作戦で犠牲になった者の名前だ。そしてシノンは、求婚者のリーダー、アンティノオス(ロバート・パティンソン)の代わりにギリシャ軍へ徴兵された犠牲者でもあった。

ペネロペは「オデュッセウスの弓を引き絞り、並べた斧の穴を矢で射抜いた者と結婚する」と宣言する。求婚者たちの誰も弓を弾けない中で、乞食のシノンと名乗っていたオデュッセウスだけは弓を引き、矢を射通して正体を明かす。そして求婚者たちとの戦いが繰り広げられ、オデュッセウスが勝ち残り、王位を息子のテレマコスに譲る。最後は、オデュッセウスはペネロペとともに死者たちの鎮魂の旅に西方へと向かって映画は終わる。

海からやってきて、略奪し、破壊することの意味が問われている。知性や知略の果てに得るものとは何か?現代において、いまだに終わらない戦争は、ギリシャ時代から変わらぬ人間たちの欲望が繰り返されている歴史なのだ。


2026年製作/172分/G/アメリカ
原題または英題:The Odyssey
配給:ビターズ・エンド、ユニバーサル映画

監督・脚本:クリストファー・ノーラン
製作:エマ・トーマス、クリストファー・ノーラン
製作総指揮:トーマス・ヘイスリップ
原作:ホメロス
撮影:ホイテ・バン・ホイテマ
美術:ルース・デ・ヨンク
衣装:エレン・マイロニック
編集:ジェニファー・レイム
音楽:ルドウィグ・ゴランソン
視覚効果監修:アンドリュー・ジャクソン
特殊効果監修:スコット・R・フィッシャー
キャスト:マット・デイモン、トム・ホランド、アン・ハサウェイ、ロバート・パティンソン、ルピタ・ニョンゴ、シャーリーズ・セロン、ゼンデイヤ、サマンサ・モートン、ジョン・レグイザモ、ジョン・バーンサル、ヒメーシュ・パテル、ビル・アーウィン、エリオット・ペイジ、ベニー・サフディ、コーリー・ホーキンズ、ミア・ゴス、トラビス・スコット
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写真引用コピーライト 2026 UNIVERSAL STUDIOS
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