映画史に残る傑作『市民ケーン』(1941)を25歳の初監督作品で撮ってしまったオーソン・ウェルズ。その第2作がこの『偉大なるアンバーソン家の人々』(1942)だ。『市民ケーン』は新聞王の栄光と死に至るまでの生涯を描いた作品だが、本作も19世紀末から20世紀にかけて、都市化とともに、馬車から自動車へ移り変わる時代の変化の中で没落していくアンバーソン家の人々と結ばれなかった男女の愛を描いている。いずれも時代の変化とともに生きた人々の大きな物語である。
オープニングは19世紀末のアメリカ中西部の大富豪アンバーソン家の栄華について、オーソン・ウェルズ自身の語りで始まる。公共の乗り物である乗合馬車を窓から呼び止めて乗るのどかな時代。「速く移動できるほど余裕が失われる」と都市化の皮肉が語られ、当時のファッションの流行の変化やアンバーソン家の噂話を町の人たちが証言する。愛しの女性の屋敷の窓の下で音楽を奏でて男たちが求愛する古き良き時代のエピソード。そんな楽器をもってやって来た若者ユージーン・モーゲン(ジョセフ・コットン)は転んで楽器を壊し、アンバーソン家の令嬢イザベル(ドロレス・コステロ)をガッカリさせる。その後、彼が何度もアンバーソン家を訪れても、贈り物を受け取ることさえイザベルから拒否され続け、イザベルは堅実な実業家ウィルバーと結婚する。そしてイザベルが生んだアンバーソン家の一人息子ジョージは、わがまま放題の生意気な男の子として育ち、その乱暴な振る舞いに町の人々は、彼に「当然の報い」を受けるべきだと願うようにまでになっていた。テンポ良く語りで紹介される導入部。
最初の見せ場は、大学の休暇で帰省したジョージのために開かれたアンバーソン家での舞踏会のシーンだ。ユージーンが一人娘ルーシー(アン・バクスター)を連れて18年ぶりに町に戻ってきて、舞踏会に参加する。イザベルに今でも思いを寄せるユージーン。横柄で傲慢な一人息子ジョージ(ティム・ホルト)は初めてルーシーと出会い、二人の会話をクレーショットや移動の長回しで描きつつ、廊下や階段、踊る広間の奥行きを使った屋敷のセットで、ダンスや人々の動かしの演出が見事だ。自動車の発明家ユージーンが、「過ぎた時間は取り戻せない。あるのは未来だ」と言ってイザベルと踊りだすと、ジョージとルーシーがカメラ前に現われ、ジョージが「弁護士や銀行員のように働くつもりはない」と語り、「何になるの?」とルーシーが聞くと、「ヨット操縦者」と答えて二人は画面の奥に向かって踊りだす。このシーンの人の動きと運動の見事さ。ジョージがルーシーに、玄関で明日の馬そりの時間の約束をしている手前で、ユージーンを見送るイザベルのシルエット。親子二組の恋心が同時に動き出す影の映像演出が面白い。そして雪の中で必死に車のエンジンを手で回し、なんとか押して走り出そうとするユージーンの車と、軽快に走り回るジョージとルーシーの馬車が対比的に描かれる。そして馬車から投げ出されたジョージとルーシーが雪の中で転がりながらキスをする。さらに、みんなを車に乗せて、エンジンの煙にむせながらジョージが車を押して走り出し、歌を歌いながら雪原を走っていく幸福感と躍動感も忘れ難い名シーンだ。
自動車事業で成功したユージーンは、みんなを工場見学に案内しつつ、昔からユージーンに思いを寄せる叔母のファニー(アグネス・ムーアヘッド)を無視して、イザベルとばかり話をする。傍らに佇むファニーがなんとも痛ましい。「車は役立たずの邪魔ものだ」と自動車の発明に関わったユージーンに言い放つジョージだったが、ユージーンは「車がもたらすもので外界は変わる。人々の心も変わるだろう。彼にも一理ある」と自動車がもたらす変化の弊害も口にする。
ユージーンとイザベルの婚約の噂をファニー叔母さんから聞いたジョージは、「もう来るな」とユージンを追い返し、二人の間を引き裂く。3階まである屋敷の階段の踊り場が効果的に使われる。イザベルと伯父が話をするため部屋に入る1階を見下ろすカメラがパンナップすると、2階の踊り場にジョージがいる。さらにカメラがパンナップすると3階にいる叔母のファニーを捉える。ファニーは2階のジョージに声をかけながら階段を下りてきて、二人は階段で言い争う。高さと階段を活かしたお芝居だ。ユージーンはイザベルに手紙を書き、「自分のために生きるか?ジョージを選ぶか?」の選択を迫り、イザベルは愛する息子を選ぶ。そして息子と町を出て旅に出ることにする。影を使った屋敷の広い空間。町を出て行く別れをルーシーに告げるジョージだが、ルーシーは表情一つ変えずに笑顔でジョージを送り出す。悲しみの表情さえ見せないルーシーにショックを受けて旅立つジョージだったが、ルーシーは彼と別れた後で一人、気を失うのだった。そのルーシーが気を失う場面は映像では見せない。このあたりの演出も上手い。
海外旅行から帰国したイザベルは病気になっていた。イザベルに会いに来たユージーンを再び追い返すジョージ。しかし「会いたかった」と言って息を引き取るイザベル。
この映画は不幸なことに、最終編集権を持っていた製作会社のRKOによって、オーソン・ウェルズが撮影して編集したものから40分以上カットして公開されたらしい。編集にあたったのが、後に『ウエスト・サイド物語』などを撮ったロバート・ワイズ。おそらく没落していく後半の過程がカットされたのだろう。後半は特に描写不足で飛び飛びな印象だ。
ルーシーは父に、嫌われて追放されたある部族の酋長のたとえ話でジョージのことを語り、「仕方がなかったのよ」と自分を慰める。ファニー叔母さんは投資に失敗し、下宿に住むこともできない。弁護士になったジョージだったがもっと危険な仕事で金を得ようとする。そして子供のころから横柄で傲慢だったジョージは、町の人々が願った「当然の報い」をようやく受けることになる。しかし、誰もそれを見届ける者はいない。アンバーソン家の所有地すべてを失い、そして化学薬品会社で働いていたジョージは車の事故で両足を骨折してしまうのだ。ジョージが非難していた自動車で事故を起こし、自動車開発で成功したユージーンとルーシーは、ジョージに会いに病院に行く。時代の移り変わりと皮肉な展開。それでも最後は、なんとなくのハッピーエンドだ。ユージーンとファニー叔母が病院の廊下を歩きながら、ルーシーを見た時の病室でのジョージの喜んだ顔を語り、そこに「母イザベルが見守っていたような気がした」と言って終わるのだ。ジョージの病室のシーンは見せずに、二人の語りだけで終わる。
後半がなんとも中途半端な感じは否めないが、前半の屋敷での舞踏会や雪の中の車と馬車のシーンの見事さ。そして暗い影が覆う屋敷内の玄関と階段で、それぞれの愛が交錯し、愛し合っていた二人は阻まれ、距離ができていく場面など見応えはたっぷりある。
1942年製作/アメリカ/88分
原題または英題:The Magnificent Ambersons
配給:UIP
監督・脚本・製作:オーソン・ウェルズ
原作:ブース・ターキントン
製作総指揮:ジョージ・J・シェイファー
撮影:スタンリー・コルテス
編集;ロバート・ワイズ
音楽:バーナード・ハーマン
不明ティム・ホルト
キャスト:ジョセフ・コットン、ドロレス・コステロ、アグネス・ムーアヘッド、アン・バクスター
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