アルフレッド・ヒッチコック得意のスパイもの。スパイとメロドラマが結びついた作品で、『汚名』(1946)というケーリー・グラントとイングリッド・バーグマンの傑作を思い出すが、本作は1936年のイギリス時代の作品。第1次世界大戦最中のスパイ暗躍を題材にしたサマセット・モームが原作。道化的な役回りで、女好きのおしゃべりな殺し屋ピーター・ローレの目玉ギョロギョロの怪演が印象に残る。
イギリス軍大尉で小説家のエドガー・ブロディは休暇で帰国したところ、新聞に自分の死亡記事を発見する。映画は葬式のシーンから始まるが、葬儀後に片腕の男が棺桶を運ぼうとして、遺体がない空っぽの棺桶であることを観客に見せる。あえて怪しい片腕の男を出させるあたりがヒッチコック演出だ。ブロディは、「R」と名乗る男から、これからはアシェンデン(ジョン・ギールグッド)という男になって極秘任務を遂行するように指示が出される。中東で混乱を引き起こすためにアラビアに向かうドイツのスパイを見つけ出し排除することである。ハゲでもメキシコ人でも将軍でもないが、「毛のないメキシコ人」、「将軍」として知られる殺し屋(ピーター・ローレ)の協力を得ることになる。
敵のスパイがいるスイスに向かうと、そこには「R」が手配したアシェンデンの妻エルサ(マデリーン・キャロル)がいた。気が強く好奇心の強い女エルサの魅力に惹かれるアシェンデン。エルサにはマーヴィン(ロバ−ト・ヤング)という男が言い寄って付きまとっていた。アシェンデンと将軍は二重スパイである教会のオルガニストに会いに行くが、彼は死んでいた。しかし、彼の手には明らかに殺人犯との格闘で引きちぎったと思われるボタンが見つかった。そのボタンを手掛かりに、ケイパー(パーシー・マーモント)という登山家の男がスパイだと思い込んだアシェンデンと将軍。山へと連れ出して、将軍が事故に見せかけて殺害してしまう。殺害をやめようとしたアシェンデンが、休憩所から望遠鏡で崖の上の二人を覗くシーンがある。山の上は当然ながらスタジオでの合成なのだが、望遠鏡の目線映像を入れるのもヒッチコックらしい。のちの『裏窓』を想起させる。
殺害した男が誤りであったことを「R」から知らされる。殺害場面でケイパーの妻の様子をさぐるため、彼の自宅でドイツ語を習っていたエルサ。その家で主人の不在を恋しがり、ドアの隙間に体を入れて異様に鳴く犬が演出されている。飼い犬の異変で、人違いで殺された男の哀れさが強調される。間違いだったと知らされてケタケタと笑う非情の殺し屋、将軍。取り乱すエルサ。アシェンデンとエルサは、出会った瞬間から惹かれあっていたとお互いの愛を確認し、スパイの仕事を辞める決意をする。
しかし、将軍が女から敵のスパイの男の情報を探り出し、二人はチョコレート工場に潜入。このチョコレート工場のセットも見事。アシェンデンが殺しはもう止めると言っていたのに裏切られたと思ったエルザは、一人旅立とうとする。ところがホテルのロビーでマービンと再会し、マービンと連れ立って列車でコペンハーゲンへ向かう。チョコレート工場で、スパイはマービンだと突き止めた二人は、マービンが乗るコンスタンチノーブルに向かう列車の乗り込み、彼を殺害しようとする。列車の中はドイツ軍の兵士たちでいっぱい。恋とスパイ活動が交錯して、列車の中で敵のスパイと相対する4人。殺そうとする男たちと、殺さないでと言う女。その時、イギリス軍の列車への爆撃があり、列車は脱線、火の海になる。マービンと将軍は死んだが、アシェンデンとエルサは助かり、二人はスパイを辞めて、夫婦になってハッピーエンド。
敵のスパイとの恋やキス、スパイ任務と恋愛と板挟み。敵地へ向かう列車の中で複雑に関係が絡まりあいながら進んでいくスリリングな演出。間違えられた殺人、死者が引きちぎって手元に残したボタンなど、ヒッチコックの作劇の巧みさと演出はイギリス時代からしっかりと確立されている。
1936年製作/86分/イギリス
原題または英題:The Secret Agent
監督:アルフレッド・ヒッチコック
製作:マイケル・バルコン
原作:サマセット・モーム
撮影:バーナード・ノールズ
音楽:ルイス・レビ
美術:オットー・ベルンドルフ
キャスト:ジョン・ギールグッド、マデリーン・キャロル、ピーター・ローレ、ロバ−ト・ヤング、パーシー・マーモント
写真引用

ブレーントラスト
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